作品について

オレはサイコロを振らない
- Der Alte würfelt nicht -
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【略称】オレサイ
【作者】桜井正宗@sakuraimasamune
【公開】2017年
【最終】2019年09月15日
【一言】第9章追記しました

サイコロ一個から始まる学園サイコロバトル。
――であれば良かったが。突然始まる“殺し合い”、異世界転生!?
その実は……!? それは運か、混沌か。今――世界の答えを知る。

登場人物紹介

◆彪噛 稲杜 [ あやかみ いなと ] 性別:男
主人公。あだ名は『やしろ』。桜音とは幼馴染。
高校二年生の新クラスで、葵と出会うも翻弄される日々を送る。
平均的な『運』の持ち主だが、意外なところで幸運を発揮しやすい。
オンラインゲームも嗜んでいる。

◆桜音 [ さくらね ] 性別:女 【キャライメージ
ヒロイン。幼馴染。明るい性格で、ツンデレ(?)。
サイコロが大好きで、他に追従を許さない程にサイコロマニア。
メイド喫茶『サンフラワー』で密かにバイトしている。
物を賭ける程度に勝負好き。

◆深波瀬 葵 [ みなみせ あおい ] 性別:女 【キャライメージ
ヒロイン。クラスメイト。大人しい性格をして、お嬢様のような気品を持ち合わせている。
栗色ロングの眼鏡っ娘。本気になると眼鏡を外す。
謎めいた言動や行動が多く、やしろを度々当惑させている。
人並み外れた豪運の持ち主。

◆安曇埜 甘楽 [ あずみの かんら ] 性別:女 【キャライメージ
やしろの先輩にして、オンラインゲーム仲間。
『DancingCat』のギルドマスターを担っている。
大のギャンブル好きで、生活費を競馬で稼ぐほどである。
やんわりした性格で、やや天然。

◆ヴュルフェル 性別:男 【キャライメージ
隣のクラスに所属しているらしい、男子生徒。
やしろに一方的に絡む。

【第1章】サイコロバトル

 深波瀬――深波瀬 葵。
 変わった名前だなって思った。


 高校二年の春。
 クラス替えによって新しい高校生活を向かえる事になった。
 Aクラスに割り振られた俺は、淡々と教室へ向かっていた。

 到着早々、教室前は人ごみでごった返していた。どうやら、席は決められてなく、生徒達はどこに座るべきかと困惑しているようだ。

 見渡すとまだ着席している者は疎ら。そうなると早い者勝ちとなる。
 幸い、良さそうな席はまだ空いていので、俺はなるべく隅の席を確保する為にも、疾風の如く着席した。その際、見知った人物が後ろの席に座ったが、今はあえてスルーしておく。

 それから数十分後、新任の教師が現れた。
 担任の名は“笹塚”という。男性教師だ。

 先生の非常につまらない自己紹介が終わり、次に生徒の番となった。
 次々に自己紹介が行われる中……そこで聞きなれない名前を耳にした。

『深波瀬 葵』

 それは、ちょうど前の席の女生徒だった。
 いつの間にこんな美少女がいたんだ? さっきまで寝ていたせいか気付かなかったぜ。
 うん? 苗字は“みなみせ”と読むのか。やたら波が多いなという印象だ。名前は“あおい”か。なるほど、イメージ通りというべきか、大人しそう。なにより、綺麗な長い髪。容姿端麗。眼鏡っ娘ときたもんだ。こんな可愛い娘が前の席にいるとかラッキーだな俺。

 ――などと考えていたら。

「次、後ろの席のキミだ。早く自己紹介をしたまえ」

 と、担任に指差されていたことに気づく。
 いつの間にか女生徒の自己紹介が終わっていたらしい。

「あっ、はい!」

 俺は慌てて席を立ってみるも、頭は真っ白。肝心の自己紹介を持ち合わせていなかった。
 しまった……なにを言えばいい!?

 ああ、とにかく、そう、名前だ。名前を言おう。それから、最近の趣味だ!

「彪噛 稲杜《あやかみ いなと》……です。よく“やしろ”って呼ぶヤツがいますが“いなと”です。お間違いのなきよう。あと趣味は筋トレで、この通り筋肉には自信が……」

「ああ、もういい。次」

 担任は呆れた顔で、俺の自己紹介を中途半端なところで切りやがった。
 おのれ、笹塚教諭め。

 折角、筋肉について熱く、暑く、篤く語ってやろうかと思ったのに。
 俺の筋肉美学を理解できんとは、やれやれ。

 無念を胸に着席しようとしたら、視線を感じた。

 その視線の主は……

 深波瀬 葵

 だった。

 だが、彼女はすぐに前に向き直ってしまった。

(……気のせい、か?)


◆ ◆ ◆


 昼休み。持参した弁当を広げようとしたところ、先にカップラーメンを広げられた。
 銘柄は『カップニードル』。なんとも刺々しい……いや、そうではない。

 俺は顔を上げて、その人物を認識した。

「なんだ、桜音。お前、俺以外に友達いないのか」

「それはこっちのセリフだ、バカやしろ」

 “やしろ”そう俺を馴れ馴れしく呼ぶのは、幼馴染的な付き合いがある、もはや腐れ縁となっている桜音。身長154cm、体重……(殴)。ちなみに、ツンデレメイド属性の持ち主だ。

「誰がツンデレだ!」

 じとっと生温い目で睨んでくる桜音。

「って、勝手にヒトの心を読むんじゃない」

「あんたの考えていることなんて大体判る。もう長い付き合いだからね。それにさ……」
 それに? と、桜音は、窓際で外を眺める深波瀬をちょんちょんと指差す。

「あ?」

「あ? じゃない。あのコが気になってるんでしょ。あたしには判るんだよ、やしろ。あんたって本当、判りやすい」

 どうやら見透かされてらしい。
 さすが、というべきか。桜音、恐ろしい娘!

「そっかー、ついにあたしは捨てられちゃうわけかー。悲しいー」

 およよと別段寂しくもなさそうに、桜音は泣き真似をした。

「捨てるもなにも、俺とお前はそんな間柄ではない。
 桜音、確かにお前は魅力的だ。可愛いし、スタイルも抜群だし、アニメ声ときたもんだ。理想とも呼べるツンデレメイド属性の持ち主だ。
 だが、貴様は決してヒロインにはなれない――いや、その土俵にすらあがることができない、所謂モブキャラよ。何故ならば、もう俺の気持ちは深波瀬だけ。そう、貴様なんぞもう射程圏外なのだよ。悔しかったら、媚びてみろ」

「ふーん、そう」

 なんだかあまり悔しくなさそうに、桜音は立ち上がった。
 なんだ撤退か。つまらん。

 ――と、思いきや、背後から抱きつかれた。

「んぉ!?」

 桜音が密着している。顔も近いし、なにか柔らかいものも当たっていた。
 こいつ思ったより胸があったんだな……。

「な、なにを勘違いしてんのさ。勝負よ、勝負」

「勝負だぁ? って、まさか」

 わざわざ席を立ったのはその為にか。(因みにすぐ後ろが桜音の席)

「そ。これよこれ」

 手中でジャラジャラと何かが踊る。
 例の四角いモノ同士の衝突だろうか。その音が鼓膜を刺激して心地よい。

「あー、サイコロか。お前、それ好きだなあ」

「うん。この形……立方体がキュートでね~。いつも持ち歩いているくらい好き」

 掌にはいくつものサイコロがあった。種類多様、千差万別である。
 こいつの、桜音の昔からの趣味らしい。

「って、それはいいから、今日は久々の本番。一発勝負ね。出た目の数値の大きい方が勝者ってことで……なにを賭ける?」

 桜音の提案する勝負。
 それは不定期に開催される、俺と桜音の題して『サイコロバトル』とでも言うべき遊び。先ほど桜音が言っていた通り、ルールは単純明快。ただ、数字の大きい方が勝ちってだけ。あと、賭けたり賭けなかったりだが、今回は賭けるとはね。

 それより、今日の俺の運勢は……あー、確かあまり良くなかったな。
 ここはリスクを抑えていくか。

「そうだな。近頃、自販機に新入荷したというエナジードリンクでも賭けようぜ。それとお前、いい加減に自分か深波瀬の席に戻れ」

「あ、うん。って、そんなのいらないし、それじゃあつまんない」

 不服そうに、深波瀬の席に戻る桜音。

「じゃ、こうしよう。あたしが勝ったら“やしろの一日”をちょうだい」

「俺の一日? どういうこっちゃ」

「詳しい事はやしろが負けたらね。
 で、あたしが負けた場合……逆に一日、“あたしを好きにしていい”っていうのはどう?」

 ……?
 多分、今の俺、目が皿になっていると思う。

 “桜音を好きにしていい?”

 それはなんて魅力的な、それこそ悪魔と契約してしまうかのような誘惑があった。
 今までにこんな提案もなかっただけに、苦渋の選択を迫られる。
 勝てば良いが、負ければその分のリスクも高くつく。

 桜音は言った『やしろの一日をちょうだい』と。
 その真意の程が判らないが、彼女の目はいつもと違い、真剣《マジ》にも見える。

 伸るか反るか。ここは……。

「乗った。いいだろう、俺が勝ったら、お前の自由を一日戴く。一応確認だが、マジで自由にしていいんだな?」

「うん。勝ったら、ね」

 それは性的な意味も含まれているんだろうな? と、念を押してみたかったが、今は野暮というものか。
 まあいい、勝てばいいだけの話。

「もう後戻りは出来ないよ。いいね?」 そう最終確認する桜音。

「ああ、構わん」

「では、このサイコロで。これは“新品”だからイカサマは出来ない。なんだったら確認してくれてもいいよ」

 と、標準的な正六面体《キューブ》のサイコロが手渡される。

「ふむ。確かに」

 怪しいところは何もない。
 サイコロを机の中央に置いたところで、俺は提案する。

「先攻どうする? 公平にジャンケンにする?」

 桜音は「ジャンケンで」と快諾した。
 結果、先攻は桜音。後攻は俺となった。

「いくよ」

 正直、引いてしまうくらいに冷静な桜音。お前、なんでそんな落ち着いているんだ。
 俺なんか結構、心臓バクバクだぞ。

 掌から零れ落ちる正六面体《キューブ》。
 カラカラ、コロコロと奇妙な音を響かせながら、それはやがて結果を導き出した。

「6」

 そこに紛れもない【6】の面が向いていた。
 思わずなのか、桜音は勝利を確信した時のギャンブラーさながらの表情をしていた。
 口元が歪んでいらっしゃる。てか、それちょっと危ない。

 いやいや、それよりもだ。

「6!? 1/6とはいえ、引き強すぎんだろ!」

「望みは薄いと思うけど、まだやしろにもチャンスはある」

 そう、例え最大数を出したとしても、そこで完全勝利ではない。
 こうなれば相子にするしかない。相子ならば再戦という形にもっていけるのだ。
 つまり、俺も【6】を出せばいいだけのこと。
 だが、確率にして1/6……運否天賦だ。

 ……ゴクリ。

「たかだか【6】を出せばいいだけの事!」

 俺はサイコロを掴み、全身全霊の思いで賽を投げた。

「りゃぁっ!!」

 正六面体《キューブ》がまるで駒のようにくるくる回り、スローモーションの映像を見ているかのように緩慢となった。

(出ろ、6!! 出やがれ!!)

 やがて、サイコロはバランスを崩して数字を弾き出した。

 結果……


 ……【6】!


「……しゃぁあっ!!」

 俺は思わずガッツポーズ。
 セーフ! 引き分け! 再戦! これでまだ俺は戦えるぞ!
 サイコロの神様ありがとう!!

 ドヤ顔を向けてやろうと、俺は桜音の顔色を伺ってみた。

「……」

 なんだか浮かない顔をしていた。

「どうした。結果は出たぞ。再戦だ」

「判ってるって。じゃ、続投して」

 桜音は不満げにそう言った。なんだ?
 まあいい、それよりまた俺のターンだ。再戦の場合は、そのまま振る。

「いくぞ、ほれ」

 先ほどとは違い、緊張感もなく適当に投げてみた。

 その結果は【5】だった。
「お、すまんな、桜音。今日は俺、ツイてるみたいだ」

「……」

 この状況に、桜音の顔は真っ青になっていた。

「なんだ、お前、今更後悔してんのか? これはお前が仕掛けた勝負だぞ。よりによって賭け事。お前の選択肢はこの賽を投げるしかないんだぞ」

「……なーんてね、えい」

「へ?」

 細い指から、サイコロが放たれる。
 変わった投げ方だが、これは一体……いや、まて。
 カラカラと音を鳴らし、すぐに結果が判明する。

【6】

「……6?」

 目を、この状況を疑った。

「あたしの勝ち。あれ、その顔、まさか勝てると思ってた?
 ごめんね、ここ最近ずっと猛特訓してて、投げ方ひとつで目をコントロールできるようになったんだ」

「そ、そんなバカな……」

 呆れてモノも言えやしなかった。

「新品のサイコロだったから、ちょっと自信なかったけど無事に成功ね。努力の甲斐があったわ~。
 というわけで、やしろ、あんたは一日、あたしの言う事を聞きなさい」

「……」

 悔しいような悔しくないような……
 いや、認めたくないけど悔しいんだろうな、俺。
 ああ、くそっ、完敗だぜ。

「大丈夫。悪いようにはしないから。じゃ、明日休みだし付き合ってよね」

「あ、ああ……」

「とてもイヤそうね。判った。先に言っておく。半日は……デ、デートしてもらうんだから、その、ちゃんと来てよね!」

「あ、ああ……ああ!? デートだ?」

「これは勝者の命令よ。絶対だから!」

 なんか知らんが桜音は顔を沸騰させながら、席を立った。

「あ、おい、どこへ行く!?」

 行ってしまわれた。
 ……ふーむ、デートねえ。

 って、あれ、なんでだろう。
 悔しくない。

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【第2章】放課後のチンチロリン

 失念。うっかり忘れること。ど忘れ。物忘れ。
 人間、たまにはそういう事がある。俺もうそう、何か失念していた。

 初日の授業は何事もなく、ただ平凡にその日を終えた。

 放課後。下校していく生徒達。教室に残るクラスメイトはもう残り僅か。俺もそろそろ帰宅の途へ就こうとしたのだが。

 今日の昼と同じ光景を映し出すかのように、窓際には深波瀬 葵が佇んでいた。
 俺は妙なデジャブを感じつつ、その様子を観察してみた。

 すると、彼女の目尻から一滴の雫が零れ落ちた。

(な……泣いているのか)

 どこか痛いのか。
 初日早々になにかイヤな事でもあったのか。それとも……失恋か。
 何にしても、今の彼女に掛けてやれる言葉はなさそうだ。
 そうだ、放っておいてやろう――としたら。

「いたっ……目にゴミが」

「って、そっちかよ!! お前は昭和か!」

 条件反射でツッコんでしまう俺。
 そこでハッと気づく。

 彼女の、深波瀬 葵の冷たい視線が向けられていた事に。

「彪噛 稲杜……くん。変わった名前ね」

「いや、それはこっちのセリフ。お前こそ相当変わった名前だな」

 なんとなくそう言い返すと、深波瀬は俯き言葉を続けた。

「やしろくんと呼んでも?」

「自己紹介を聞いていなかったか? そう呼ぶのは桜音……幼馴染でね。あんまり好きじゃないんだ。出来れば“いなと”で頼むよ」

「判ったわ。やしろくん」

「……」

 いや、お前それ絶対判ってないだろ。

「わたしの事は“葵”でいいわ。苗字だと長ったらしいから」

 そんなに差異はないのでは……。
 まあ、彼女の要望ならば名前呼びにしておこう。
 向こうも“やしろ”呼びするならば、お互い様である。

「じゃあ……葵。でいいか。よろしくな」

「ええ。よろしく。
 ……ところで、やしろくん。あなたコレに興味があるみたいね」

 コレ? と、俺は頭に疑問符を浮かべながら、
 彼女の人差し指と中指の間に挟まっている物体に目を向けた。

 それは……

「サイコロ?」

 ――っぽい形状のものだった。
 正六面体《キューブ》なのは確かだが、賽の目が書かれていない。“無地”だ。

「そう、サイコロ。でも、これはただのサイコロではないわ。
 ま、詳しいことはまだ企業秘密なんだけれど、とりあえず、そうね、“スタンダート”でいきましょうか」

 恐らく“スタンダート”という音声に反応したのか、無地だったサイコロが光を発した。各面には【1】~【6】がデジタル表示されている。

「んぉ!? なんだよそれ、カッコいいな。今時はそんな玩具もあるんだな」

 ありそうでなかった奇怪で斬新なサイコロ。
 なんとも男心を擽るような、ガジェットだろうか。
 面白いモノもあるもんだなと、俺は少し関心してしまった。

「うん、まあね。それより、わたしと勝負しない? 対決方法はそうね……チンチロリンで」

「な……勝負だぁ? いやいや、今日はもう敗北を知ってしまったからな、勝負って気分じゃないな。悪いがまた今度に――」

「そう言うと思った。けど、いいのかしら?」

 と、葵はチラリと桜音の席を見つめた。

「……?」

「桜音さんって結構人気あるのね。彼女、密かなファンが多いみたい。だから、こんな写真を“偶然”入手してしまったの」

 ピラっと一枚の写真が机の上に置かれる。

「なっ!? おま……これ!」

 そこに写っていたのは『メイド姿』の桜音だった。
 桜音はメイド喫茶で働いているのだが、これはまずい。当高校はアルバイトを厳重に禁止しているのだ。こんなものが先生達の目に触れれば大問題になりかねん。いや、間違いなく謹慎あるいは退学レベルである。

「幸いこの写真はこの一枚しか存在しないわ。
 欲しかったら、わたしと勝負しなさい。もちろん勝ったらこれを差し上げてもいいけど、どうする?」

 こ、こいつ最初からそのつもりで……。

「くっ……受けるしかなさそうだな。
 一応聞くが、そっちが勝った場合はこの写真をバラ撒きでもするのか?」

「そんな悪趣味はないわ。大丈夫。勝負を受けてくれれば写真は取り下げる。あなたが勝った場合はおまけでプレゼントしてあげてもいいわ。
 けど、その変わり、わたしが勝った場合は、やしろくんの一日を戴くわ」

 それはどこかで聞いたことのあるセリフだった。
 ……ああ、桜音か。

「俺の一日か。いいだろう、受けて立つ……で、葵。チンチロリンってどうやるんだ?」

「……やしろくん。ルール知らないの」

 なんか凄い引かれている。いや、普通は知らんだろ。

「はぁ……まあいいわ。教えてあげる」

 葵によれば、チンチロリンは3つのサイコロを丼に投げ、目(役)で勝敗を争うというものらしい。尚、今回は特別ルールなので実際とは差異があるようだ。

 今回は、ピンゾロ([1][1][1]・一番)、ゾロ目([2][2][2]など・二番)、 シゴロ([4][5][6]・三番)、ヒフミ([1][2][3]・無条件敗北)、 出目([5][5][6]など)、目なしを基本役とする。
 お互い同じ役が出た場合は、数値の大きい方が勝利となる。

 引き分けであれば、再戦。勝敗が着くまで繰り返していく。
 サイコロは2回まで振って、どちらかで出た一番強い役を自分の持ち札にする。まあ、要は強い役・数値が出れば勝ちというわけだ。

「なるほどね、ルールは大体理解した。
 ところで“丼”がないが、どうするんだ?」

「それなら持ってる。サイコロもね」

 と、葵は何処からか丼とサイコロを取り出した。

「なんて用意のいい……まあいい。日も暮れる。さっさとケリをつけようぜ」

「ええ。では、やしろくんに先後攻を決める権利を与えてあげる。どうする?」

「いいのか? じゃ、悪いが後攻で……」

「なんだか弱腰ね……。てっきり男らしく先攻なのかと思ったけど、期待はずれだったかな」

 なんかさりげなく酷い言われようだ。

「いいわ。わたしから行かせてもらうわ」

 葵は、サイコロを右手に握り込んだ。
 その白く小さな手がゆさゆさとシェイクされる光景は、手馴れている感じさえ取れる。
 こいつ……やり手か!?

 そして、何かを感じ取ったのか、葵はサイコロを振った。

 投げ出される3つのサイコロ。
 それらは重力に引かれ、直ぐに結果を導き出した。

 【3】【3】【4】

 出目だ。
 つまり、この場合は“出目の【4】”が今の彼女の持ち札となった。

「惜しかったわ。できればアラシにしたかったのだけど」

「アラシ?」

「ゾロ目のことよ。さ、次はやしろくんの番」

 そう促され、サイコロを手に取る俺。今更ながら緊張感が増してきた。
 く……“目なし”だけは回避したいところだ。

「いくぞ」

 なるべく物欲を出さないよう、意識を別に向けて俺は賽を投げた。
 3つの正六面体《キューブ》が1つずつ動きを止める。

【4】

【5】

「……!」

【6】!!

「シゴロ賽!」

 きやがったっ……!
 俺は思わず興奮する。やった。これで勝利は俺のモノ!

 そう確信したのも束の間。

 ……カラン。

 【6】だった面が滑り【5】となった。

「んなっ!!」

 結果【4】【5】【5】。つまり出目となった。
 葵と同じ、持ち札は【4】ということ。つまり今のところ引き分けだ。

「くっ……」

「早合点だったわね。サイコロの動きには最後まで油断しない方がいい。
 ……さて、そうなるとこれで決着がつくかもね」

 ラスト二投目。泣いても笑ってもこれが最後だろう。
 さっきのような引き分けは、もうそう簡単には出ないはずだ。

「やしろくん。ちょっと焦ってる?」

 気づけば、葵が覗きこむようにこちらを見ていた。

「……いや。続けてくれ」

「判った。じゃ、悪いけどこれで決める」

 葵はそう言うと、賽を摘んで軽やかにサイコロを落とした。
 そんな投げ方だというのに、丼の中で元気良く踊る正六面体《キューブ》。

 次第に速度を落とし始め……

【6】……

【4】……

(なっ……まさか!)

 そのまさかだった。

【5】!!

「確定ね。シゴロよ」

 確かに面は間違いなく【4】【5】【6】だった。

「バ、バカな……」

 これで俺は、同等かそれ以上を出さなければならなくなった。
 勝てる見込みは……かなり低いと言える。

 だが!

 勝負とは最後まで判らないものだ。俺は諦めない。

「運否天賦・乾坤一擲!」

 俺は気合を入れるつもりで、そんな大層な言葉を並べながら賽を投げ込んだ。
 サイコロは、丼の中を強かに回り込み、そして、丼の底へと転がり落ちていった。

【2】

 ひとつ目の結果が――いや、ふたつ目も!

【2】


(きやがれ……っ!)

 カラカラと乾いた音を立てるサイコロ。
 振り子のようにサイコロは揺れ続け、どの面を向いてもおかしくない不安定なバランスをしているように見えた。
 だが、物理法則に従い、重力に導かれた賽は、ついにその最後の審判を下した。


【2】

「……」

 お互い、この光景に固唾を呑んだ。

「……こ、これは」

 その驚嘆の表情を見せたのは、葵だった。

「そう……これがあなたの運の強さ。いえ、実力ね。素直に“敗北”を認めるわ。おめでとう、やしろくん」

 彼女の表情は悔しさのそれとは違い、嫌味が全くない。
 むしろ、清々しささえ垣間見えた。

「良いものを見せて貰ったわ」

 何やら妙に嬉しそうに立ち上がる、葵。

「ああ、そうそう。勝者には“これ”をプレゼントしなきゃね」

 目の前にピラリと舞う一枚の写真。メイド姿の桜音の写真じゃないか。
 そういえば、これを賭けての戦いでもあったな。
 熱中するあまりすっかり忘れていた。

「さ、もうこんな時間だし、一緒に帰りましょうか」

「そうだな。いよいよ日が暮れるし、そろそろ誰かが見回りにくる頃だろう。まずいな」
 軽く身辺整理を済ませて、俺も席を立った。
 さあ、行こうとしたその時だった。

 カラカラと聞きなれた音が背後からしていた。

「え……」

 どうやら、葵が賽を投げたようだ。
 最後の足掻き、泣きの一回ってやつか。(もう勝敗はついてるけど)

 だがそう簡単にさっきの【2】【2】【2】を超える目など出るワケが……
 そう高を括ったが運の尽き。

「……?」

 その丼の中の結果を見て、俺は驚愕していた。
 赤色の点が見事に3つ揃っていたのだから。

 つまり……


【1】【1】【1】


 だった。
「ピ、ピンゾロ……だと!?」

 バカな……!
 検索サイトのゴーグル先生によれば、ピンゾロが出る確率は1/216(0,46%)らしい。シゴロですら、6/216(2,78%)だぞ!?

 それを二回連続で出せる“豪運”……。
 葵、コイツひょっとして……実は、手を抜いていたんじゃなかろうな?
 俺は、どうしてもそう勘ぐってしまう。

 しかし、葵は『偶然よ』と興味無さげに俺の横を素通りして行った。

「……」

 ……深波瀬 葵。
 今この状況でようやく確信を得た。ヤツは只者ではない。
 玄人であると。


◆ ◆ ◆


 教室を出たところで、葵がこう提案してきた。

「一緒に帰りましょう」

 女子にそう声を掛けられることは、桜音以外では一生ないものだと思っていた。
 それがどうして、現実に事は起こった。
 これもまた偶然なのだろうか。
 いやこの場合は“奇跡”だろうか?

「~~~♪」

 深波瀬 葵は上機嫌だ。
 俺の隣で、器用にもベートーヴェンの“交響曲第九番”を鼻歌で鳴らしていた。
これはあの有名な『歓喜の歌』である。簡単に判りやすく言えば、カ●ルくんである。

「なにか良いことでもあったのかい?」

 水を差すかもしれないと思ったが、俺はそう葵に訊ねてみた。

「なにも。ただ……」

「ただ?」

 「嬉しくて」そう向日葵のような笑顔を俺に向ける葵。
 彼女の微笑みは天使だった。

(……なんだ。仏頂面固定なヤツかと思ったけど、笑えば可愛いじゃないか)

「ところで、なにか望みはあるの?」

 油断していると、唐突にそう話を振られる。

「望み? なんのことだ?」

「さっきのチンチロリンのこと。
 やしろくんが勝ったじゃない。だから、何かないのって」

「ああ、そういうこと。
 う~ん。桜音のメイド写真のインパクトが大きすぎてなあ……正直、何も考えていなかったな」

 今現在、俺の胸ポケットに大切に保存されている戦利品《桜音のメイド写真》。これで桜音のバイトばバレないし、安心できよう。写真はシュレッダーにかけ――るわけなく、これは、家宝にすることにした。

「そう。じゃ、なにか決まったら言って頂戴。いつでも一回だけ“なんでも”言うこと聞いてあげるから」

「ほーん……って、ん!? “なんでも”だと!?」

 そのセリフは聞き捨てならなかった。いや捨てたら勿体無い。

「そうだけど……不満?」

「んや、勝者の当然の権利だな。うん。ま、まあ近いうちに何か決めておくよ」

 「了解」と短く葵は返事したところで、思い出したように「あ、えっちなのは禁止……」と、釘を刺される。

 あ、禁止か……と、俺は落胆しかけ……「じゃないから」と付け加えられ、俺は心の中でガッツポーズした。

(っしゃぁぁあ、ありがとう神様!!)

「でも、その場合は学校中に言いふらすことになっちゃうけどね」

「……自重します」

 非常に残念だが、しかし、それでも“なんでも”いいらしいので何か考えておこう。


 少し歩いたところで、葵の足が止まった。

「わたしはこっちだから」と、何やらビルの多い方向を指差した。

「おう。じゃ、またな」

 軽く手を振って、葵との別れ際。

「……」

「ん?」

「やしろくん。サイコロで人を殺せると思う?」

「なんだ。いきなり物騒だな。サイコロでねぇ……まあ、例えば“賭け”でもしていて、敗北。それで、莫大な借金でも背負わせたら、そりゃある意味では殺せる、かもな」

 そう、どの時代でも賭博による破綻者はいる。この今の世の中でさえ。

「そうではなく、本当に殺せるとしたら?」

「なにを言っているんだ、お前は。そりゃ、呪いとかオカルトの領域だろ」

「ええ……そうね。でも……いえ、なんでもないわ」

 葵は「変な事を言ってごめんなさい」と謝ると、ビル群の方向へと歩き出して行った。
 あの方角。確か『ダイスン』があったような……。
 大手企業『ダイスン』。詳しい事は失念した。まあ記憶に残らないくらいだ、そんなにたいした会社ではないだろうし、あの周囲には大手銀行やらも沢山あるし、まさかとは思いたくないが、まさかね。

「あいつ、どこかの令嬢だったりするのか……?」

 確かに、葵には気品もあるし、口調もお淑やかである。
 ――いやいや、そんな筈は……ないよな? ないと思いたい。


◆ ◆ ◆


 その晩。パソコンのデュアルモニタで映し出しているニュース番組で、突如としてその名前が飛び出た。

『深波瀬社長は……』

「ぶ―――――ッ!!」

 その独特で聞き覚えのある苗字に、思わずコーヒーを噴出してしまった。
 ディスプレイがコーヒー塗れになって、俺は慌ててティッシュで拭き取る。

「……あいつ!?」

『■■システムを■■■に実装。これはとても革新的で、今までにない斬新かつ独創的なアイディアで……』

 興奮気味に解説するキャスター。うまく聞き取れない部分もあるが、今はどうでもいい。
 確かに“深波瀬社長”とテレビから聞こえた。テロップにも“深波瀬 癸”と表示されているし、そんな個性溢れんばかりの名前は、あの深波瀬しかおらんだろう。

 そうだ――“深波瀬 葵”だ。

 これは一度、葵に問い詰める必要があるだろう。だが残念な事に、明日は土曜。休みだ。しかも、今思い出したけど桜音とデートなんだっけね……。
 仕方あるまい、日曜日にまた聞き出そう。

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【第3章】イノベーション

 掌を太陽に翳して見れば、俺の血潮は煮え滾っているように見えた。
 これが噂のスターダストシェイク……?

「む?」

「なにやってんのさ」

 このアニメ声は……やっと来たか。
 俺は掌をその声の主に向けた。すると指の隙間から不審者でも見るかのような、白い眼差しが向けられている事に気づく。

「よう、桜音」

「よう、桜音……じゃないわ。やしろ、あんた頭大丈夫?」

「俺の思考回路(CPU)は至って正常だ。桜音、お前こそ360000ミリ秒の遅刻だぞ」

「なんでミリ秒……」と桜音は呆れ返っていた。因みに、360000ミリ秒=6分だ。
「い、いいじゃない。あたしとやしろの仲でしょ。少しくらい大目に見てよ!
 そ、それに今日はデートしてあげるんだから、少しは喜びなさいよ!」

 お前そういうところはルーズだよなあ。
 と、ツッコンでやりたかったが、これはこれで貸しとなったので、俺的には美味しいところだ。

「じゃ、代わりにあとでサイコロバトルな。構わないよな?」

「うーん。それよりもっと面白いバトルがあるんだけどなあ」と、何やら桜音は悪戯っぽくそう言った。

 サイコロバトルよりも面白い、だと? それはちょっと気になる。

「よし。それにしよう」

「おっけー。じゃあ、行きましょ」

 決まったところで、デートが始まった。

◆ ◆ ◆

 電車で揺られて行くこと半時。
 何処へ行くのかと桜音に聞いても答えず『あんたはただ黙って付いてこればいいの!』のツンデレ風味の一言が返ってくるだけだった。
 デートとはいえ、こんな遠出するとは露知らず。どこの天外魔境へ拉致られるのかと内心、ドキドキしていたのだが、到着駅を見て俺は胸を撫で下ろすどころか、ついガッツポーズを決め込んでしまった。

「そういう事か、桜音。それで軍資金をとメッセージを……」

「そ。あんた好きでしょ、これ」

 駅名にはこう書かれていた。

 【中京競馬場前駅】

 ここから徒歩で約十分のところに競馬場はあるのだが――いやまて、疑問が残る。

「なあ、桜音。これデートだよな? いいのか?」

「うん。いいの。だって、今日はあたしも賭けるからね!」

 ニシシと笑う桜音。随分と分厚い財布を見せびらかしてきた。
 ズシっと重量感が伝わってくるところ、相当な金額に違いない。

「おま……いくら持ってきたんだよ。ガチか」

「んー。ざっと五十万円くらい」

 ……?
 俺の脳が一瞬停止した。

「は!?」

 なんだって……。ごじゅうまんえんだって……?

 一体何処からそんな金を拠出したというのだ!?
 確かに、桜音はメイド喫茶で働いているのだが……そこまで稼いでいるとは到底思えない。
 まさか裏オプションで……とか、怪しい関係を持っているとかじゃ……あわわ!
   そうだとしたら、早いところ手を切らせた方がいい。

「桜音! お前、どんな悪い事をしたんだ!? 正直に言ってくれ、頼むから!」

「……はい?
 ああ、この五十万円ね。ちゃんと自分で汗水流して働いて得た正真正銘の純粋なお金よ。ふふ、やしろったら邪推。それに、これ全部は使わないよー。
 賭けるとしても、精々、十万円。残りはこの後のイベントで全力なんだから」

「そ、そうなのか。
 ――って、この後のイベント?」

「秘密。それより、今は競馬よ、競馬。
 ここで稼いで後半のイベントに資金に充てるから。目指せ、万馬券よ! だから、やしろも頑張って。あんた競馬の慧眼だけは異常なほどにあるからさ。きっと取れるわ!」

 そう、きゃっきゃと女子特有のテンションを上げる桜音。
 そんな希望的観測を持たれてもなあ。人の夢と書いて何たるかを小一時間説法してやろうかと考えたが、しかし、俺の慧眼を期待されては仕方あるまい。

「いいぜ! 俺の実力を見せてやる!」


◆ ◆ ◆


 最終レースが終わった。
 敗北を知って落胆する若者。地獄を見てきたかのような顔面蒼白のサラリーマン。
 大勝利でもしたのか、ランラン気分で競馬場を後にするジジイ。

 この世はまさに乱離拡散していた。

 所詮この世は弱肉強食……強ければ生き、弱ければ死ぬって、じっちゃんが言ってた。
 そう、食うか食われるか、そのどちらかなだけ。

 ――で、俺はというと。
 夕焼けを背に、ぐびっとコーヒーを口にしていた。

「……ふぅ。これが“勝利の美酒”というやつか」

「やしろ……」

 目の前には何やらモジモジとしていらっしゃる桜音。
 なんだトイレか?

「そ、その……今日はアリガトね」

「う~ん?」

「あんたのこと、ちょっと見直しちゃった。まさか11レース以外は全部取れちゃうんだもん。それに、おかげでこんなに手持ちが増えたし。だから……ね。やしろ、そ、その……」

 なんだ? 桜音のヤツ、妙に顔が火照ってないか。風邪でも引いたか? 熱でも測ってやるか。
 額に手を伸ばそうとしたが。

「おや――おやおや。これはこれは偶然。夢っち」

 突然、ポンと肩を叩かれ振り返る。

「んあ……?」

 その麗しき御仁を見て、俺は一瞬にしてときめいた。
 白いワンピース姿に麦藁帽。そのセットはやばい。しかも、大変美しいセミロングの髪を靡かせ、より一層に神々しさを増させていた。これは俺的ポイント激高だね!
 なんてお美しいお嬢さんなのだろうと……この奇跡の出会いに乾杯を……って、あれ。

 いや、待て。このヒトは!!

「“マスター”もとい甘楽先輩……なにしてるんすか」

 夢っちとリアルに俺の事を呼ぶのは、この世にただ一人。俺と同じ学校に通う先輩であり、同じオンラインゲームをプレイしている、甘楽先輩に他ならない。

「いや~、ちょっと競馬で課金資金を増やそうかと思って。ほら、競馬って現地で見たほうが何十倍も楽しめるし、息抜きにもいいでしょ」

 あんたもか! 今時の女子高生は競馬で財布を潤わせているのか!? すごい時代になったものだな。

「で、夢っちひとりなん?」

「夢っち言うな。いえ、連れがいましてね、こちらです」

 この状況に固まっている桜音を突き出した。

「え、ちょ!?」

 あまりに突然の事に、桜音は驚いていた。まあそうだろうな。

「ていうか、やしろ。この人誰? 夢っちって何……」

 それは説明すると長くなるのだが……仕方ないか。

「この人は、先輩で“安曇埜 甘楽”《 あづみの かんら 》さん。俺のやってるオンラインゲームのギルドマスターで、キャラは大剣を振るう屈強の大男で……って、それは今はいいか。
 まあ、そのゲームで俺は『夢Q』と名乗っていてな。そういうワケよ」

 どういうワケよ! と、桜音は理解できずに頭を抱えていた。さすがに、オンラインゲームをやっていない桜音からすれば意味不明すぎるだろう。
 いやそれよりもだ。

「先輩こそ彼氏とかと一緒で?」

「そんなのいないよ。ひとり。言ったでしょ。課金の為だって。
 そうそう、今日は稼げたわ~。これで当面の資金は得られし、課金もし放題よ~」

 ほう。それは興味深い。

「どれだけ儲かったんです?」

「ふふ~。実はね~、ごにょごにょ~…」

 と、耳打ちしてくる先輩。
 吐息が微かにかかってきて、むず痒いというか、ちょいと恥ずかしい。

  ――だが、その恐るべき金額を知って俺は驚愕する。

「んな!?」

 んなアホな……なんだその大勝っぷりは。信じられん。驚天動地だ。
 ていうか、先輩に負けただと……ウソだろオイ。

「証拠はあとでトゥイッターにアップするから」

 どうやら、その素振りからしてマジらしい。

「はは……」

 この人いったい何者なんだ……。

「じゃ、私は用事があるからそろそろ」

「あ、はい。お気をつけて」

 先輩を見送ろうとしたら、背後から殺気が溢れていた。

(んげっ……アカン!)

 桜音を忘れかけていた。危険が危ない。
 これはデッドラインを超える3ミリ前ってところだ。

「で、では」

「うん。じゃあね」

 爽やかな笑顔で甘楽先輩はどこかへと行ってしまった。
 そのせいで、俺はここでウッカリ言葉を漏らしてしまう。

「先輩の服、可愛かったなあ……」

 その発言の一秒足らず。ドスッと鈍い音が足元からした。
 足を思い切り踏まれた。

「んがあっぁぁ!?」

「……」

 めちゃくちゃ怖い顔をしていらっしゃる桜音。なぜえ!?

「やしろのバカ……!」

 べしべしと踏まれる足。痛い。痛すぎる。骨が逝く!! 暴力反対!
 そう訴えかけようとしたのも束の間。桜音はしゅんとしてしまった。

 あー…落ち込んじゃったよ。これはちょっと気まずいヤツだ。
 ……やれやれ。

「ほれ。お土産だ」

「え……これって」

 意外なものを見るような目で見られた。
 そんなに珍しいものだっけ……コイツが好きな正六面体《キューブ》なんだけどな。

「ほら、これ売店で売ってたからさ。どっかの企業とのコラボ商品らしいけど、先着三名様限定商品らしいぜ」

 それはいつしか葵に見せてもらった無地のサイコロとよく似ていた。
 だから俺は気になって並んでまで買ってしまったのだが、使い道がなかった。それが丁度このような機会に巡りめぐってくるとはね。買っておいて正解。

「なんでこれが競馬場の売店なんかで……」

 桜音はなにやら不思議そうに思案している。なにか引っ掛かっているらしい。

「ま、まあいっか。じゃあ貰おうっと…………アリガト」

 頬を微かに赤く染め、ぼそりとお礼を言う桜音。
 俺は思わず、桜音の頭をくしゃくしゃと撫でていた。

「ちょっ……いきなりなにさー」

「いんや、なんでもないさ。帰るぞ」

「……うん」

 そこで俺はふと思い出す。
 あのショップにいた店員さんの顔……何処かで見たことがあるような。

 いや――いやいや、気のせいだろう。あんたところに葵がいるはずがないんだ。

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【第4章】ラッキーストライク

 『今日の運勢は、大変良い一日となるでしょう』
 そうテレビに映し出されるのを見て、俺は拳を握り締めた。

 ラッキーデイ。
 そんな単純で些細な事だけど、嬉しい。

 だが、運とは何だろうか。
 どこからやってきて、どこへ行ってしまうのか?

 そもそも、本当に運がいいかどうかは、それこそ運次第だ。
 気持ちの問題か? プラシーボ効果か? 一体、なにが因果となって齎される?
 その答えを知る者は、それこそ“神”だけだろうか。

 ――いや、だが。

◆ ◆ ◆

 深波瀬 葵は何処に居る。
 彼女の姿がなかった。少なくとも朝は見かけたが……。
 しかし、彼女は予鈴が鳴るギリギリの時間に教室にやって来たために、俺は例の件を問い質せずにいた。

(くそう……葵のヤツ。なんてタイミングの悪い)

 探そうにも、もう次の授業が始まってしまう。
 どうする。探すか……いや。

 そうこうしている内に、予鈴は鳴った。

 ダメか。仕方ない、また後にしよう。
 それにしても、葵のヤツ、サボりか……体調不良という線もあるか。

◆ ◆ ◆

 昼になっても、葵は姿を現さなかった。
 それどころか、見たこともない人物からの視線に俺は気づいてしまう。

 教室の外。そこにどこかのクラスの男子生徒がいた。

「誰だあいつ……」

 深緑の瞳がこちらを見ている。そいつは外国人のような風貌さえもあり、顔立ちが整っている。
 いわゆる、イケメンの部類なのだろうが……どこか胡散臭い。

 その男子生徒は、我が教室に足を踏み入れ、やはり俺の方向へ向かってきた。

「……」

 その推移を見守っていると、対面となる。が、俺は初対面のはずだ。
 マジで誰だよ、こいつ。

「オレは隣のクラスの“ヴュルフェル”。ハーフでね。
 でも、日本生まれだから日本語はこの通り流暢なんだが……ま、そんな事はどうでもいい。彪噛、お前、葵さんをどう思っている」

 自己紹介ついでに、なんかトンでもない事を言われた。
 いやいや、その前にだ。いきなりお前呼ばわりとか礼儀がなっとらん。ていうか、葵をどう思っているかだあ? そんな事をこんな礼儀知らずに話す価値はない。のだが、名乗られたからには、名乗り返すのが礼儀である。

 そう思ったのも束の間。

「ああ、自己紹介なら不要。あんた“彪噛 稲社”だろ。愛称は“やしろ”、 The Scorpionの11月11日生まれ。ポッキーの日とはたまげたもんだ」

 と、ヴュルフェルは俺に発言権を与えず、俺の個人情報を得意気に披露しやがった。

 星座だけ英語なのは面倒くさいから突っ込まん。ポッキーの日は初めて知ったが。いや、重要なのはそこではない!

 こいつ、俺の個人情報を知り尽くしていやがる。
 もしかして、ストーカーか!? ……だとしたら気持ち悪い。

「で、どうなんだ、葵さんの事を聞かせろ」

「し、知るかよ……大体いきなり何なんだよ、突然現れて。失礼にも程があるぞ」

「……そうか。まあいい。貴様なんぞ所詮、凡人以下だ。今までの人生、悪運だけ乗り切ってきたのだろう。ふん、オレのラックには遠く及ばない。葵さんもそれに気づき始めた頃合だろう」

 こ、こいつ!
 ふざけんな! と、胸倉でも掴んでやろうかと思った……が。

 俺の行動よりも先に、机が激しく叩かれた。

(……え?)

 割って入ってきたその人物の顔を認識すると同時に俺は驚いた。桜音だった。
 あまりの音に、教室内がシンと静まり返り、クラスメイトが俺たちに注目する。

(げっ……)

「あ、ごめん。みんな。ちょっと手が滑っちゃった」

 てへっとまるでドジっ娘のようにアピールする桜音。
 その言い訳は少し苦しい気がしたが、クラスメイトは気にせず、それぞれの会話に戻った。

「ヴュルフェルくん……だったよね。やしろをこれ以上、侮辱するなら、あたしが許さない」

 そう、人でも殺しそうな鋭い視線で、ヴュルフェルに釘を刺す桜音。

「そいういうキミは……桜音さん。
 ……フム。これはさすがのオレも分が悪い。そう、キミは本当に“運だけ”は良い。
しかし、キミには圧倒的に足りないものがある。それは自身でも薄々感づいているのではないのかな」

 またも、得意気に説明するヴュルフェル。
 だが。

 桜音は、ポケットから何かをスッと取り出した。
 それをヴュルフェルに見せ付けると、彼の顔は見る見るうちに変化していた。

「なっ……バカな! そ、それは……どこで! そいつはまだβテスト段階で、希少価値の高い……くそっ、オレですら持っていないのに……」

 なにやら、ヴュルフェルはブツブツと独り言に専念していた。

「なあ、桜音。それって俺が前に買ってやったヤツじゃあ」

「ううん。これは、あたしの宝物。やしろが買ってくれたのは、自宅に大切に保管してあるから」

「なるほどね。じゃあ、ヴュルフェルが過剰に反応しているその“サイコロ”は?」

「詳しい事はあとで話す。
 ヴュルフェルくん。悪いけど、この場はお引取り願いたい」

 桜音がそう注意を促す。

「あ、ああ……オレは気分が優れん。戻るとする。貴重な昼休みを邪魔したな」

 なぜかとても深刻そうに身体を押さえながら、踵を返すヴュルフェル。
 なんだ急に?

「ワケ分からん……」

 ヴュルフェル……あいつは一体何者なんだ? 謎が多すぎる。

「ごめんね、やしろ」

「んあ? お前は悪くないだろ。なにを謝る必要がある桜音よ」

「う、うーん……その、聞き耳立ててたからさ……ホントごめん」

「なんだそんな事か。たいした内容でもないし、へーきへーき」
 と、俺は軽く受け流していたことを強くアピール。実はちょっと傷ついたケド……。

「あの人……やしろの事あんな風に言って。許せないよ」

 なにか妙に涙ぐみながら、自分の事でもないのに悔しそうにする桜音。

「ほう。桜音が俺のことをそう思ってくれるとはね」

「だって……幼馴染だもん。大切な人が悪く言われてるのは、いい気がしないし」

 当たり前のことを当たり前のように言われ、俺はちょっと……いや、かなり嬉しかった。

「ありがとな」

 俺は、ただ当たり前に感謝の言葉を述べた。
 すると桜音は、なぜか照れ臭そうに俯き「うん」と短く返事をした。

◆ ◆ ◆

 深波瀬 葵は現れなかった。
 放課後になっても、鞄すらも取りに来る気配がない。

 彼女の身に何かあったのか?

 それを知るには……そうだ、担任に問えばいい。
 幸いな事に、教室内にはまだ笹塚教諭が残っていた。

 というわけで、葵の状況を聞いてみた。

「深波瀬? 今日はずっと出席していたが、どうした。彼女になにか問題でもあったかね」

 ……それが担任の返答だった。

 はい?

 葵が教室に居たって? 馬鹿な。この担任は何を仰ってやがりますか。
 俺の前の席は、葵なんだぞ。
 今日の朝以降はずっと“空席”のままだった。
 間違いない。桜音だってその状況は把握していたはずだ。

「先生、寝惚けているんじゃないですよね」

 だが、笹塚教諭は、俺を可哀想な子供でも見るような呆れた表情で、溜息を漏らした。

「はー…。彪噛。お前が寝惚けていたんじゃないか。
 さあほら、もう下校時刻だぞ。さっさと帰って勉強しろ」

 邪魔な虫を追い払うかのような扱いで、俺は教室から摘み出された。

「ちょ……」

 笹塚教諭め……乱暴な。
 今のは一歩間違えれば体罰に成りかねん握力だったぞ。いつか教育委員会に告発してやるからな……と、復讐を誓って教室を後にした。


 葵が見つからない以上は仕方ない。また明日にしよう。帰ろう。
 と、学校庭を通り過ぎたところで、見知った顔が現れた。

「あ、甘楽先輩……ん?」

 まて。様子がおかしい。
 俺は咄嗟に茂みの陰に隠れて、先輩の様子を伺う。

(あれは……)

 よく見ると、先輩と対峙するかのように、ヴュルフェルが佇んでいるではないか。
今日の昼といい、アイツは一体なんなんだ……いや、それよりも、先輩に何の用だ? ていうか、顔見知りだったのか?

 聞き耳を立てていると、ヴュルフェルが何か説明を終えたのか。

「……そういうワケでして、甘楽先輩。オレの相方になってくれませんかね」

(んなっ!?)

 ヴュルフェル……てめえ! なにが相方だ、ふざけんな!
 あまりの爆弾発言に俺は居ても立ってもられなくなり、介入してやろうかと思った矢先。

「お断り。あなた、ゲーム内では極悪で有名でしょ。PK《プレイヤーキラー》を基本とした冷酷無慈悲なプレイスタイルだものね。私はマッタリだからね。PKに興味ないんだ。それに、優秀な相棒ならいるもの」

「彪噛……か」

 つまらなそうに、俺の名を吐き捨てるヴュルフェル。

「そうか、そうなると仕方ないな。あいつのキャラネーム、確か『夢Q』だったよな。今夜、あいつを殺してやる。あんた諸共な」

 物騒すぎる発言をして、ヴュルフェルは踵を返した。
 なんてヤツだ……まるで本物の殺人鬼のようなオーラだったぞ。

 ヴュルフェルの姿が見えなくなり、その途端、甘楽先輩はよろめいて倒れそうだった。

「先輩!」

 俺は飛び出して、彼女の身体を支えた。

「……夢っち? そっか、見られてたんだ。ごめん。私は大丈夫だから。それより、今日はゲームのログインを控えて。お願い」

「いやいや、今日は経験値特盛祭ですよ!? そんな年に一度あるかないかの神イベントを逃すなんて、勿体無いですよ。ログインボーナスだって豪華だし」

「そ、そうね……そうだった。それに、他のメンバーも困っちゃうもんね」

 そうですよ。と、俺はやや無理に説得をしたが、しかし、さっきのヴュルフェルの言ってた事も気になる。

『今夜、あいつを殺してやる。あんた諸共な』

 たかが、ゲーム内のPKだからそんな気にも留めていないし、仮にやられたとしても、たいしたペナルティもない。だが、妙にあいつの言葉が引っ掛かっている。

 まさか、リアルでも実際に死ぬとかいう……某オンラインゲーム事件じゃあるまいし、そんなまさかな。まあ、それ以前に、俺のプレイしているゲームはVRMMOではないし。死ぬ事はないだろう……たぶん。

「先輩、一緒に帰りましょうか」

 しかし、先輩は頭を横に振り、力なくこう言った。

「ううん。私はちょっと用事があるから……ごめんね」

 あまり気分が優れないのか、顔色が悪そうだ。
 心配なので、途中までついて行こうかとも考えたが、ついてくんな的な雰囲気が漂っていたので、俺は敢えてひとりで帰る事にした。

「では失礼します。先輩、また向こうで」

 俺は軽く挨拶を済ませ、背を向けた。
 その時、“妙な圧力”を感じたのは気のせいではないだろう。

◆ ◆ ◆

 帰り道。パソコンのパーツを調達しようと、隣町にあるパソコンショップへ足を運ぼうと駅の方へ向かい、電車を待つこと数分。

 いよいよ電車が到着しようとした頃。
 俺の横を素通りしていく女子高生がいたのだが――いや、まて。

 その方向は――落ちるぞ!?

 叫ぼうとした時には、女子高生はバランスを崩し、ホームから転落しようとしていた。
 自殺!? ウソだろ!?
 こんな……俺の目の前で!?

 そう遠くない距離から電車が見えていた。
 このタイミングでは、電車と女子高生の接触は避けられない。
 この先、悲惨で凄惨な未来が待ち受けているのは一目瞭然だった。

 彼女にはまだ、明るい未来もあるだろうに。

 その命運尽きようとする最中で、俺は彼女と目を合わせてしまう。


「……深波瀬 葵……」


 無情に鳴り続ける汽笛。
 ブレーキの轟音。
 人々の叫び。
 阿鼻叫喚。
 そして、その死の瞬間。
 無音と虚無。


「………………」


 電車はようやく停まった。

 一時間とも感じられた時の中で、やっと静止したのだ。
 だがこの刹那の無音なる世界の中で。
 ただ、俺は、彼女の死を受け入れられずにいた。


 なぜ、そんな……死ぬ事ないだろうに……!!


 そう絶望していると。

「おい! あの女子高生、無事みたいだぞ!!」

 そんな“奇跡”みたいなセリフが降りかかった。

 バカな……?

「葵……生きて、いるのか!?」

 まさか、電車の向こう側に……?

 その予想は的中した。
 どうやら、電車と接触する寸前に運よく向こうのレールに転倒したようだ。

 少なくとも。
 少なくとも、俺は完全にダメだと思っていた。あの時、確かに彼女は電車に轢かれていたはずだ。

 幻でも見たのか。それとも、本当に運よく奇跡的に助かったというのか。

 そうして気づけば、誰かが救出に向かったり、駅員を呼んだり、救急車や警察を呼んでいた。中にはそれを面白がって、スマホで写真や動画を撮るものまでいた。
 事は急速に大事なってゆき、波乱を呼んだ。


 ……

 彼女はなぜ……。


 大騒ぎの最中、俺は葵に付き添った。
 驚いたことに、葵は“完全に無傷”だった。

 救急車が到着し、その内に身内がやって来て、俺は御役御免となった。
 そうなると、俺の出番はもうない。
 あんなショッキングな場面を見てしまったのだ。もう出かける気にもなれない。帰ろうと、駅から数メートル歩いたところ――。

 葵は、元気な姿で、俺の目の前に姿を現した。

「んな……!? お、お前……どうして!?」

 こんな事が有り得て良いのか――

 いつもの澄ましたクール顔。どうしてそんなにも余裕綽々でいられるのか。あんな大事件があったというのに。
 まず、普通の女子なら冷静ではいられない。恐怖に怯えるか放心状態に陥るか……PTSD《心的外傷後ストレス障害》となっていてもおかしくない状況だ。

 それなのに。

 彼女の精神構造は、一般人とは懸け離れたものなのだろうか。

 何がそうさせる。何がそうさせた。
 どうしてそんな行動を取った。

 投げかけたい質問は多かった……のだが。

「やしろくん。さっき、何を見た?」

 それは勿論。

「お前がホームから飛び降り……電車に轢かれたところを」

 そう、葵は確かに飛び降りて――しかし、奇跡的にも無傷で助かって、救急車で運ばれていった――はずだった。

 葵は視線を落とし、ゆっくりと歩み寄ってきた。
 カツカツとコダマする足音が耳に突き刺さる。

「そう。さっき私は“確かに飛び降りた”。あれは夢でも幻でもない、本当の“現実の出来事”……だった」

「だった?」

「もうさっきの転落事故の事は、やしろくんとわたし以外は覚えてないはず。だってね……それがわたしの『願望』であり……『運』なのだから」

 運? 運ってあの運だろうか。
 いや、まてまて……そんな軽々しく“運が良かった”とでも言うのか、コイツは。

「馬鹿な。そんな運があるものか。大体、覚えてないって、それはおかしいだろ。普通、ただ運が良かっただけで、人の記憶が改竄されるものか?」

「普通でないとしたら?」

 ……普通でない? 普通でないとしたら、確かにそれは常識外れの、それこそ異質な力と言える。いや――運か。

「葵、お前は何か“特別な運”があるとでも言うのか。もしかして、それを俺に見せたかったとでも?」

「ええ、そんなところね」

 かなり冷め切った素っ気ない返事。こいつ、ひょっとして反省してないな。

「だからってホームに飛び込む必要はあったのか!?
 仮にその強運とやらが本当だとしても、さすがにビビるし、ていうか迷惑すぎる。
もし運の悪いほうだったらどうしたんだ。死ぬところだったんだぞ!
 俺は心臓が止まるかと思ったぞ……頼むから、あんな悪ふざけはもう二度と御免だ」

「……」

 一瞬の沈黙。
 だが直ぐに、葵は「心配、してくれるんだ……」と珍しく悲しそうに呟いた。

「当たり前だろ。頼むから、あんな真似は絶対するな。約束しろ」

 俺は強く、牽制するかのように訴えた。
 すると、葵は。

「うん。いいよ。それが、貴方の望みなら、従う」

 と、一字一句丁寧に。そう素直に返事をくれた。

「判ればいいんだ。判れば。ま、それにだ……本当に死ぬつもりはなかったんだろ?」

「……」

 またも、沈黙。
 コイツ……マジだったのか……?

「冗談よ。そもそも、わたしはこの運がある限り、死なんてものはそう簡単には訪れないのよ。あまりに強運すぎてね。
 だからさっきは運で生還したのだけど、確かに死んでいた可能性も無くもなかった」

「おま!」と、突っ込もうとしたところで、制止させられる。

「最後まで聞いて。
 ただ、その可能性は限りなく低く。天文学的数値になるでしょう。だから結果的に、わたしが死ぬという確率はゼロに等しかったわけ。判った?」

 そう言われても納得いかないのが、俺である。
 だが、今は堪えよう。というか、もう突っ込むのが面倒くさかった。

「判った。葵の強運とやらは理解したよ。その代わり、俺の質問にも答えて欲しい。お前、ダイスンの社長なのか?」

 そう。今日はこの質問を彼女に投げかけるために、ずっと葵を捜索していたのだ。

「確かに、ダイスンに所属はしている」

 やっぱり……!

「でも、社長ではないわ」

「え?」

「父が社長なの。深波瀬 癸《みなみせ みずのと》っていうのだけどね」

 癸……だと? 俺の見間違えだったのか。

「まあ、その話も含めていろいろ言いたい事もあったのだけど……ごめんなさい。さすがにそろそろ帰らなきゃ」

 時計を見ると、19時を回っていた。
 いかん。俺もそろそろ帰宅したい。

「おっと、俺も……」

「やしろくん。改めて……ごめんなさい。今日はありがとね」

 葵はお詫びのつもりなのか、俺に身を寄せてくる。
 なんて甘い香り。悪くない。
 いやそれよりも、かなり密着するものだから、そう……いろいろとデンジャーゾーンが触れていた。なんという感動的なまでの弾力。柔らかさ。

(んおぉぉぉっ!?)

 その幸せの一時は、10秒程度で終わった。
 だが、途轍もなく長い10秒だった。

「じゃ、また明日ね」

 照れくさかったのか葵は頬を真紅させ、俺の横を素通りしていった。

「……」

 たった数秒だったけど、なんて超ラッキーだ。
 この感触を残したまま、むしろ俺が死にたい。

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【第5章】異変

 からからと転がっていくサイコロ。
 まるで運命を定めていくかのように、目を弾き出す。
 そんな事で決められる運命だなんて――俺はイヤだ。

 『オレはサイコロを……』

 ……

 結局、昨晩は、葵のことがあってオンラインゲームにログインする気にはなれず。先輩にも連絡せず、酷い有様だった。あとでリアルで謝るとして……。
 とにかく、学校へ登校せねば。
 朝の時間は短い。あと数分で家を出ないと遅刻だ。

 準備に手間取っていると、呼鈴が鳴る。間違いない、桜音だ。あいつはいつも迎えにやってきてくれるから。

 いやしかし、まだシャツを着たところ。ズボンも穿いてないし、ああ、もう面倒だー!! と、錯乱状態に陥っていると。

「やしろー! 今日はやけに遅いわね~…って、え!?」

 なんか、桜音が俺の部屋に入ってきていた。
 無論、俺は半裸に近い状態なので……。

「って、おま! 勝手に入ってくるなよ!」

「あー…着替え中だったか。ごめん。あっち向いてるから、あたしの事は構わず。早くしないと遅刻しちゃうよ」

「そ、そうだな。まあ……幼馴染だし構わんか」

 俺は急いで服を着替える。

「やしろ。ちょっと提案があるんだけど……いいかな」

 桜音が何か言い始めた。急がなきゃいけないのだが……。

「なんだ、言ってみろ」

「そのね、今からサイコロバトルしてさ、あたしが勝ったら……今日また“やしろの一日”をくれないかな」

「ほう? 負けた場合は、俺の言うことなんでも聞くでいいのか」

「うん。あたしのこと好きにしていいよ、ずっと」

 この条件、前にもあった。なるほど、悪くない条件だ……っておい!?

「ずっとってなんだ、ずっとって! そんな割りに合わん勝負でいいのか」

「いいよ。だって、負ける気がしないもん」

 負ける気がしないねぇ……。俺、そこまで舐められているとはね、こりゃ、この勝負受けないわけにはいかない。それに、勝てば、桜音をずっと好きにしていいんだ。好条件すぎる。

「イカサマなし、一発勝負だな。使うサイコロは、俺が購入した新品でどうだ」

 桜音は、うんと頷く。決まりだ。

「時間がないので、俺から投げるぞ」

 パッケージを開けて、新品のサイコロを取り出す。

 ククク……実はこのサイコロには仕掛けがある。新品と見せかけて、これは予め細工してある“イカサマサイ”だ。
 桜音に勝つにはこれくらいしないと勝てる気がしなかった。それに、今回のこの条件ならばリスクを背負う価値は十分にある。なんたって、桜音を永遠に自由にできるのだからな……悪魔に魂を売ってもいい価値がある。

「ほれ」

 何百回とシミュレーションした投法で、賽を投げた。
 ゴロゴロと床に転がっていくサイコロは、瞬く間に結果を出した。

【5】

 いける。【5】ともなれば、同等か【6】を出せねばならない。これは中々難しいだろう。無論、まだ可能性があるから油断はできないが。

「へー…じゃ、あたしの番ね。
 あー…そうそう、やしろ、ごめんね。今日のあたしのラックは40オーバー。それに、【強運】《テュケー》も発動しているから、小細工ありでも問題はないから」

「……は?」

 桜音の意味不明な台詞群に唖然としていると、細く小さな手から賽が投げられた。それもまた、ゴロゴロと鈍く転がっていく。

【1】……?

 なんだ、俺の勝ちじゃないか――え?

【6】

 サイコロがころっとひっくり返って、目が変わる。

「……?」


 ちょ……え? ナンダコレ?


 俺の負けジャン……。


「うっそだろオイ!!」

 イカサマサイが……俺の希望が……!!

「やしろ。イカサマしていたでしょ。でもね、運は常に味方してくれるんだよ。たとえ、そこに不正があったとしてもね」

 負けた……また、桜音に負けた。
 こいつには本当に敵わないなぁ……。

「俺の負けだ……とでも言うと思ったかー!! 桜音、もう一戦勝負しろ!!」

「不正したのに偉そうね。しかも負けたのに」

 じとっとした生温い視線が桜音より送られる。
 さすがツンデレメイド。そんな目線を送られたら、逆効果。嬉しいじゃねぇか!(変態)

「まあいいわ。じゃあ、特別。泣きの一回として……この“デジダイス”を使って勝負しよっか」

 デジダイス。そう、桜音はなにやら自慢げに、あまりない胸を張って見せた。
 む。まてよ。この無地のサイコロは……確か以前に、葵も持っていたな。

「お前も持っていたのか。それって、デジタルの?」

「あー…知ってるんだ。そう。音声認識でね、モードが色々選べるの」

 俺は「モード?」と疑問符を浮かべていると、桜音が「例えば“スタンダード”は通常のサイコロの目を表示してくれる。あと、スマホと連携させれば文字を表示させたりして、何が出るかなもどきが出来る」と得意気に説明してくれた。

 ふむふむ。やっぱり、なかなか面白いガジェットだな。俺も買おうかなと、購入を検討していると。

「で、なによりこれが本命なんだけどね……」

 桜音の顔色がいつになく真剣なものに変わる。こいつがサイコロに関して真面目な表情をするだなんて……こりゃ、よっぽどか。

 ――と、本題に入ろうとしたところで、更に呼鈴《チャイム》が鳴った。

「ん?」

 誰だ。こんな大事な時に。

「桜音、すまん。ちょっと出てくるよ」

「……あ、うん。いや、あたしも一緒に行くよ」


 二人で行くこともないだろうと思ったが、桜音はなにか気がかりのようで……一緒に玄関へ向かった。

 扉を開け、驚いた。
 そこにいる人物は、近所の人でもなければ、配達業者でもない。

 ヴュルフェルだった。

「どうしてお前が……」

 この前の逆恨みか? そうならなんて陰険なヤツなんだよ。

「やあ……おはよう。キミの住居はやっぱり此処だったか。じゃ、さっそくで悪いけど、リアルPKさせてもらうぜ」

「んな……なにを」

 意味が判らなかった。いきなり何を言い出すんだこいつ。ゲーム脳か!?
 だが、その真意はすぐに判明する。

 サイコロ? あれは桜音が持つ“無地のサイコロ”と同様のものだった。確か、デジダイス……それがどうしたというのか。

「そうか。彪噛……お前はまだ知らないんだな。このデジダイスは特別製でね……こんな事ができるんだよ!!」

 ヴュルフェルの手から放たれるデジダイス。それはコロコロと地面に転がり、変なマークが上を向いた。
 あれは……【悪魔】?

 すると、サイコロからとんでもないものが出現した。

「うあぁっ!?」

 バケモノだ……!!
 8~10メートルはある巨大な人型が実体化した。……ん。まて、このモンスターどこかで見たことが!

「ほう。これは人喰い魔人『ラスアルグル』だな。出現率は1/2000といったところか。中々良いモンスターを引き当てたものだ」

 人喰い魔人『ラスアルグル』。それを聞いて、俺はピンときた。そのモンスターの名は、俺のプレイしているMMORPGに登場するボスモンスターだった。

 つまり……つまりどういうことだ?
 ていうか……サイコロから化け物が出てくるとかどうなってんだよ!

 これは、夢幻か!?

「驚いたかい? いや、その顔は間違いなく驚いてるね。彪噛。どうして、サイコロなんかからモンスターが出て来るんだ!? そんなマヌケな顔をしているよ、キミは。
 ククク……ならば、オレは一歩先へ行っているということだな。これなら、葵さんはきっとオレに……!」

「……お前。そんなもん俺に見せてどうすんだ。近所迷惑だし、とっとしまえ」

「振り絞って出た言葉がそれかい!? ハハ――こいつが“ただのデジタルモンスター”に見えるなら……キミは愚かだな。いいか、このデジダイスはなぁ……『現実に干渉』可能なんだよ。つまり、お前を殺すことも可能なんだぜ。凄いだろう?
 あぁ、あと……このシステムの基礎を開発したのは“深波瀬 葵”なんだよ。彼女、凄いだろ? さすが、大手企業『ダイスン』様だよ」

 なっ……、なっ……。
 情報量が多すぎて、頭の整理が追いつかない。
 コイツは……。いや、あのサイコロは何なんだ! それに、どうして、葵が……。

「さあ、もういいだろ。リアルPKしてやるぜ!!」

 ニタリと気味の悪い笑みを浮かべるヴュルフェル。
 あの自身に満ちた顔は、全て真実、ということなのか?

 だが、今の俺になら信じられる……。

 そう、葵は言っていた。

『サイコロで人を殺せると思う?』と。

 ――なるほど。これがアイツの言っていた“答え”だったんだ。

「彪噛……お前の運命はこれで決まるぜ? 【剣】《攻撃》の目が2つ……これを引き当てた瞬間、お前は死ぬ」

 ヴュルフェルは再び、あのサイコロを手から放った。
 賽が転がり、出た目は【盾】のマークだった。

「チィ……悪運の強いヤツめ。これは《防御》か《回避》、あるいは《アイテム》の使用が可能だが、生憎、俺は《攻撃》にしか興味がなくてね……。
 さて、こうなるとルールに則るとお前のターンだが、彪噛は“デジダイス”を所持していないようだな。ということは、自動的に俺のターンに……」

「まった!! この戦い、あたしが受ける!!」

 と、そこで桜音が例の“デジダイス”をぶん投げ、俺の頬スレスレを掠め飛翔していった。強引なヤツめ。
 それはポヨポヨと不思議な電子音を響かせ、転進した。

 結果、【刀】のマークが上を向く。
 先ほどヴュルフェルが【悪魔】だったのに対し――【刀】の目。
 これは一体?

 サイコロから眩い光が発せられると、血塗れの女性キャクター? が、血塗れの刀を構えていた。あんなモンスターは見たことがない。ていうが、ヴィジュアルがエグすぎる。

「はい、大当たり。この“紅桜刀”のマークは“伝説の人斬り『血桜』”よ。出現率・1/200000! あとは言わなくても判るね?」

 に、二十万分の一だって!? なんつー、確率だよ。
 俺も相当驚いたが、いやしかし、それ以上にヴュルフェルが青ざめていた。

「な……なっ!? そんな“伝説級”のボスモンスターを出現させるだなんて……反則だろ!! か、勝てるわけがない……くそっ! 興醒めだ! どうせ勝てないんだ、じゃあな! 命が無事でよかったな、彪噛! 幼馴染に守ってもらえて感謝するんだな!」

 散々悪態をついて、ヴュルフェルは逃げるように去っていった。
 なんなんだか……。

「それにしても、桜音。お前もそれ《デジダイス》を持っていたとはな。まあ、サイコロマニアのお前なら持っていても不思議ではない、か。
 とにかく……助けてくれて、ありがとな」

「気にしない気にしない。あたしの運なら、あいつは雑魚も同然だし。それに、やしろを一方的に攻撃するだなんて許せなかったし! ヴュルフェルだっけ……なんであんなに、やしろに付きまとうんだろうね?」

「さあ……」

 心当たりはない、と、思う。たぶん……きっと。
 しかし、そんな事よりもあのデジダイスのシステムに驚かされた。“現実に干渉可能”だって? なんだその驚きのオーバーテクノロジーは。そんなもんどうやって作りやがった。魔法か、奇跡か、運か?

 まったく、深波瀬 葵はとんでもないヤツだな……。

「どれ。桜音の使っていたデジダイス、ちょっと見せてもらうぜ」

 地面に転がっている桜音のサイコロを回収しようと、手を伸ばそうとしたときだった。

 バチバチバチ……!

「ん?」

 デジダイスがなにやら放電を起こしていた。
 あ。これやばくね?

「ええっ? こんなこと今までなかったよ!?」

 俺以上に桜音が驚いていた。
 やがて、デジダイスは恐ろしい轟音を響かせ、閃光弾の如く光を放出しはじめた。

「んなっ……うあぁああぁぁぁ!!」


 ……
 ……

【第6章】素晴らしき世界

 白と黒がぐにゃぐにゃと反転する。ぐるぐる回る。ぐるぐるぐるぐる。
 眩暈がする。吐き気もする。

 まるで降りられないジェットコースターだった。
 永久に続くぐるぐる。いつになったら終わるんだ。

 ぴたっ。

 停まった。


 やっと停まった。
 でも、暗い世界。真っ暗で何も見えない。

(俺はどうなっちまったんだ……。死んだのか?)

 ――いや。違う。
 人の気配がする。

「そこに、誰かいるのか」

 ぼうっと一点の光がそいつを照らす。

「お前……葵か。深波瀬 葵じゃないか」

 栗色の長い髪。眼鏡。そして、あの何を考えているか判らない仏頂面。間違いない。『深波瀬 葵』本人である。
 こんなところで会うとはな……。俺は本当に死んだらしい。

「そ。ここは“死後の世界”よ。だから、こんな薄暗いし、空虚なの……なんてね、一瞬、信じた?」

「お前の冗談は判り辛い。で、ここはなんだ?」

「知りたいの?」

「そりゃ……まあ、こんな非現実な空間を見せられちゃねえ?」

 葵は一瞬、神妙な表情を見せる。いや、元からそんな顔をしているから判り辛いが、微妙にいつもよりは神妙だった。確かだ。

「実を言うと、わたしにも判らない」

「判らないって、おまえ……」

「というのも冗談で……」

 コイツ……!?

「そんなに知りたいのなら、こっちに」

 と、葵は背を向けて、どこかへと歩き始めた。
 何処へ行く気だ?

◆ ◆ ◆

 葵についていくと、次第に風景が変化していたことに気付く。
 まるで今までが色の無い世界で、風景に着色されていくような。青や緑、自然のあらゆる色が変化していき、そして、空気や風、匂いまでもが露となった。

「こ、こりゃあ……」

 その風景を見て、俺は心底驚いた。
 到着した場所に見覚えがあった。いや、ありすぎた。

「おいおいおい……! ここは、俺のやっているオンラインゲーム……『シグマオンライン』の中じゃねーか!! なにがどうなってやがる!?」

 この街並み。あの古びた中世の建物や露店。人々(NPC?)やら完全に再現されている。しかも、立っている場所は、ほぼ毎日通る馴染み深い場所だった。

 これ、マジでオンラインゲームの中なのか!?

「まさか、VRMMOってやつかこれ!」

 俺は興奮気味に、葵に問い質すが……本人はまるで興味がないかのように冷めていた。

「残念。不正解よ」

「え?」

「やしろくんが想像しているのとは、大分かけ離れていると言っていいわ。きっと、あなたのイメージでは、あの“デジダイス”が引き起こした“フルダイブ”ではないかと推測していると思う。でも、それは違うのよ。
 これはね……『現実』なの。だから、全てがホンモノだし、そこに実在している」

 ……??

 現実で……実在……している?

「あー…まて。このオンラインゲームが『現実』だぁ? そんなワケあるかい。これはどう見たって俺のプレイしているゲームだ。もうそういう冗談はよせ。それにさっさと現実に戻してくれよ。学校に遅刻しちまうよ。って……そいや、桜音はどこに行ったんだ?」

「言ったでしょう。これが『現実』なの」

「判った判った。どうせそれも冗談だろ。さあ、さっさと……」

 俺はまるで信じず……というか、信じたくなくてそう切り替えした。だが。

「……」

 呆れか微妙な顔をされ、「変なところで強情なんだから……」と、なにかボソッとつぶやいたが、俺には聞こえなかった。

「こうしてても日が暮れるだけ。そうね、ひとまず桜音さんを探しに行きましょうか。そうすれば、きっとこの世界が現実だって認められるはずだし」

「……そうだな。認めんが、桜音とは合流したいな。で、どこを探すかね。あいつは、この手のゲームはプレイしていないからなぁ。どこを彷徨っていらっしゃるやら」

 下手をすれば、モンスターにやられているんじゃ……と、嫌な予感が脳裏を過ぎる。しかし、街中に潜伏しているならば、どこかで会えるとは思うが。完全にあいつの行動次第である。

「うーん。あのコの事だから、メイド喫茶じゃないかしら」
「いや、そんな安易な。ていうか、メイド喫茶なんて実装されてねーぞ」

「知ってる。この世界にも実在はしていない」

 知っているんかい! こいつ、実はプレイしたことあるんじゃ……。

「じゃ、このサイコロで桜音さんを探しましょうか」

 サイコロで? いや、そりゃ無理だろ。
 そんなんで見つかったら苦労はせん。

「やれやれ。今日のやしろくんは疑り深いわね。これは、ただのサイコロじゃない。わたしが開発した“デジダイス”よ。
 これに“やじるし”と声に出せば、音声認識でこうなる」

 “やじるし”に反応したデジダイスは、↑↓←→のやじるしが表示されていた。

「おいおい、まさかその出た目で方角が判るとか抜かすんじゃなかろうな。そんなの当てずっぽうじゃないか」

「さあ、どうかしらね。
 ……【豪運】《フォルトゥナ》発動。一投目開始」

 葵はなにやらつぶやくとデジダイスを放り投げた。
 からからと回転しくサイコロ。その目は南を指していた。

「あっちのようね。行くわよ、やしろくん」

「そんなんで見つかるのかあ……? よーし。ここは賭けでいこうじゃないか。もしも見つかったら俺の事を一度だけ自由にしていいぞ。見つかったらな!」

 正直、俺は認めたくなかった。そんなのサイコロひとつで見つかるか? 尋ね人ステッキじゃあるまいし。……どうかしているぜ。

「へえ。面白いわね。じゃあ、これで桜音さんが見つからなかったら、わたしのことを一度だけ自由にしていいわ。えっちなのも何でもアリ」

「ほう。そりゃあ非常に魅力的な提案だな。あとで吠え面かいても知らんぞ」

 どうせ見つかりっこねえ。
 こんなサイコロで……運なんかで。


◆ ◆ ◆


「参りましたぁぁぁああああッ!!」

 俺はまず葵に敗北を認め、誠心誠意を籠めて謝罪した。
 まさかのまさかである。あのデジダイスで桜音が見つかってしまった。しかも、三投目どころか、たったの二投目で。

「約束どおり、なんでも聞いてもらうけど、後にしておく。今は、桜音さんとの感動の再会を喜ぶといいわ」

 くっ……悔しいが、桜音は確かに見つかったのだ。

「よ、よう。桜音。お前もやっぱり来ていたんだな」

「やしろ……。てことは、やっぱりこれって現実なんだ! 夢かと思ったのにー!」

 あわあわと混乱する桜音。やっぱり、これが普通の反応だよな?

「いったいどうなってるの? やしろの家の玄関であのデジダイスがピカッと光ったと思ったら、この喫茶店《スティグマ》にいたんだもの。しかも、なぜかこんな格好だし」

 桜音の格好は、その、俺的には嬉しいものがあるのだが……メイド服ではなく、どういうワケか猫耳スク水という謎マッチング。確かにそういう衣装は『シグマオンライン』にもあった。

「もー、じろじろ見ないでよ。バカやしろ! どうせなら、メイド服がよかったなあ……普段から着慣れてるし。
 それにしても、やしろ。深波瀬さんと一緒だったんだ? ホンモノ?」

「そうだ。本物の深波瀬 葵だ。俺もびっくりしたけどな。この世界にも」

 少し離れていた葵が桜音のもとに歩み寄る。

「よろしく、桜音さん。あなたの噂はかねがね。わたしのことは葵でいいわ」

「よ……よろしく」と、桜音は一歩引き気味でなにやら覇気がなかった。どうしたことやら。

「さて、桜音さんも見つかったことだし、次へ行きましょうか」

「次だぁ? もう俺は歩き疲れたぞ。少しは一休みしないか」

「そう、ね。時間があまりないのだけど……仕方ないわね。一度、帰りましょうか」

「は?」

 気付いたときには、深波瀬 葵の手から“デジダイス”が放たれていた。
 それは宙を舞い、壁に激突するや否や――

 また……世界が黒と白に飲まれていった。

「ぐぅ!?」

 今度はごんごん響く、鐘の音。
 まるで終わりを示すかのように。
 物語の終わりを告げるかのように。


 世界は幕を閉じた。


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【第7章】不確定

 白いモヤが視界を邪魔している。
 それはとんでもなく真っ白で、一点の穢れさえもない純白。
 恐ろしく白いソレは、フワフワと綿飴のように。

 いったいこれは? そんな疑問を投げかける暇なく、次には信じられない光景が始まっていた。

「た、たけぇぇぇぇええええ!?」

 そのまま落ちてしまうんじゃないかと錯覚するほど、非常に高い場所に俺はいた。
 下界は街並みが点となって、人も米粒サイズだった。

 それほどの高所……まるで高層ビルのどこかにいるような。

 いや、それよりこれを見下ろしているというのは気分が悪い。
 高所恐怖症でなくともビビし、チビるレベルだった。

 視界をまだ見ぬ部屋らしき方角へ移し、今いる空間を初めて認識した。

「……めちゃ広い」

 ただの一般庶民である俺にはそんな感想が精一杯だった。
 なにせ広い。馬鹿みたいに広い。芸能人かよっぽどの富豪が住んでいるに違いない。それほどまでにこの部屋は、一般家庭とかけ離れていた。

 シンプルだが、それでいて高級感を醸し出しているリビング。
 やたらでかい液晶テレビやテーブル。高そうなソファーやらやら……やらやら?

 と、視線がやっと定まったところに、ソファーに人が座っている事に気づいた。

 あの甘そうな栗色の髪。ブランド物の高級感あるメガネ。仏頂面の三拍子を兼ね揃えている人物といえば、あれは間違いない。

「葵……じゃないか。ここはお前の部屋か」

「おはよう。やしろくん。悪いんだけど、あなただけ連れてきた。どうしても話したい事があったから。
 ていうか……あなたを一度だけ自由にしてもいいって話だものね。遠慮なくそうさせてもらったわ」

 テンションはいつもと変わらないが、まるで有無を言わせぬといった鷲のような鋭い眼光が俺を射抜く。
 相変わらず読めないヤツ。
 いやだが、突っ込みどころ満載でもある。

「あーまて。俺はさっき“シグマオンライン”の中にいたはずだが……。桜音はどこへ行ったんだ? ていうか、ココはもしかしてお前の家なのか……あー、クソ。お前と会うといつもこうだ。情報量が多すぎるんだよ! 頼むから状況を簡潔に説明してくれ」

 取り乱す俺に対して、葵は冷め切った表情で溜息をつく。
 温くなったコーヒーのような――あれはもう呆れにも近い。

「あなたは運に負けただけ。ここまで全て私の“運”の通りに事は運んでいる。そして、これからも……。ただ、やしろくんの幼馴染である桜音さんは例外ね。あのコは、私の下位互換ではあるけれど、それなりの“運”を有している。だから、あまり近づきたくはないのね。判る?」

 判るわけがない。
 判るわけはないが、要約すれば……深波瀬 葵の“運”とやらが強すぎて、こんな状況を招いているのだと。そんな風に言っているように聞こえた気がした。

 馬鹿らしい。なんて馬鹿らしいのだと頭を抱えそうになったが、電車の件やシグマオンラインの件を思えば、これは“全て葵のせい”であると結論付けられるのではないだろうか。

 こんな事をできる女は、俺の知る限りただひとり。
 であるならば。

「葵、お前は何者なんだ」

「ただの女子高生」

「ウソつけ……。ただの女子高生がこんな高層ビルに住んでいるもんか。差し詰め、このビルは『ダイスン』といったところか。
 広がる風景は間違いなく俺の住む街並み。よって、この場所は『ダイスン』で間違いない」

 思えば簡単なこと。彼女は前に『ダイスン』に所属していると言っていたし。

「ご名答。ビルは『ダイスン』で、この部屋は私の所持する部屋のひとつ。リビングってワケ。でも、そんな些末な問題はどうでもいいわね。本題に入りましょうか」

 些末って……十分に重大だが。
 あまりの事態に俺は目頭を押さえた。眩暈がする。

 ――と、葵は一息入れると、いつもとは違う眼差しを俺に向けてくる。

 これ、と。
 葵の掌にちょこんと乗っているソレは『ダイスン』が開発したという『デジダイス』だった。間違いない。今は無地で何も表示されていない。ただの黒いサイコロ。
 だが、あれに音声を吹き込む事によって様々なモードに切り替えられる仕様のようだ。今まで見た限り、スタンダートの六面ダイス。矢印表示による経路案内機能《GPS》。それに一番驚いたのが、アレからモンスターが飛び出てきた事と、その元のゲームである『シグマオンライン』にログインしてしまった事だ。
 いや、あれは葵曰く“現実”らしいが。

「そのデジダイスの技術……最早、オーバーテクノロジーだな。そんな未来の猫型ロボットが秘密のポケットから取り出してくれそうな便利な道具をどうやって開発したんだ?」

「残念ながら企業秘密。社外秘。まあ、ある種では国家機密にも繋がる代物だから……一度知ってしまえば、少なくとも厄介な組織に目をつけられる事にはなるわ。
 とはいえ……私の“運”の前ではそれも無意味《ナンセンス》でしかないのだけれどね」

 とにかく――。

 面倒事は付き物であると言いたげに、呆れ顔を見せる葵。
 しかし、その絶対的な“運”は怪しげな組織すらも介入を許さないと自信有りげだ。いくら運が良いとはいえ……そこまでのモノなのだろうか。確かに電車の一件では驚かされたものだが。あれは単に本当に運が良かっただけではないのだろうかと、俺はまだ疑問に思うところもあった。

「なあ、葵。お前の言う“運”ってなんなんだよ。いくらなんでも奇妙奇天烈すぎる。それはもう運っていうか……」

「【豪運】《フォルトゥナ》よ」

 どこかで聞いた単語が出てくる。そういえば、葵がサイコロを投げる時に、そんな事をちらっと呟いていたっけ。

「因みに、桜音さんは【強運】《テュケー》ってところね」

「だから、それは一体なんなんだよ!?」

「人間《ヒト》にはそれぞれのF値《フォーチュン》……要はラックが存在する。ほら、ゲームでもよくあるパタメータよ。でも、現実でも運って存在するもの。私たち《ダイスン》は運を判別するためF値として表し、それぞれの属性に名称を付けている。運にもそれぞれ分類があるものなのよ。それが、【豪運】《フォルトゥナ》や【強運】《テュケー》であるの。
 無論、運の数値には波があり、急上昇することもあればどん底の場合もある。それによってヒトの運は常に変化し、良し悪しが決定付けられる。でも、そんな数値は可視化できるものではないし、容易に測れるものでもなかった」

「なかったって事は……出来るようになったって事か」

「ええ。この『デジダイス』の開発によって全ては変わった。これは人間《ヒト》の潜在的な運を正確に測る事のできる装置でもある。その原理は簡単に説明すると、これまでに現れた宝くじなどのギャンブルの億万長者とか社会的成功者とか……。
 まあ、それだけじゃ要素としては薄いので、雷に撃たれたヒトなど運の良いヒトから悪いヒトまで多種多様の人物をスーパーコンピューターで膨大なデータをシミュレートしていったワケ。その他にも、オスの三毛猫が生まれる確率や黒ひげ危機一髪が飛び出す確率などなど、様々な確率論、運命論を取り入れている。
 そうしてこのデジダイスはより正確にヒトの運を測れるものとなった」

 それが完成した時。
 葵は自身の運をデジダイスで測ったという。
 その数値は“異常”だった。今まで現れたどんな人類よりもその運が飛びぬけてあった。もはや、神の寵愛を一身に受けているのではないか。そんな錯覚すらも感じてしまうほどに。
 そんな世界一、いや、宇宙一の強運でも孤独を感じてしまった。
 ただ運がよくても幸せとは限らなかった。だから、その運をコントロールする為にも、俺という平凡な運を持つ人間と接触するようになった――って、オイ。

「またもや、いろいろツッコミ所が増えてきたな、葵さんよ!
 別に俺じゃなくても平凡なヤツはそこらじゅうにいるだろ。てか、黒ひげ危機一髪が飛び出す確率とかなんだよ……スルーしちまったけど」

「それは些細なこと。データとして必要なものは全て取り込んでいるのだから当然でしょ。あと、やしろくん。訂正させてもらうけれど、あなたは平凡といえど特別」

「特別?」

「ええ。あなたは充分に特別でしょ。この場所にいる事がまず奇跡のようなものだし」

 言われてみればそうだ。
 大企業の『ダイスン』の――しかも、葵の部屋にいること自体が特異すぎた。それが特別ではないとするなら何とする?
 だとすれば、俺が平凡な運の持ち主だろうがこんな状況に陥ることに矛盾がない。そもそも彼女の言う通り、俺は今までこれといったラッキーに巡り合わせた事がない。桜音との勝負も負けっぱなしだ。これまでの人生であった幸運なんて精々道端で100円玉を拾ったくらいだ。

「なるほど。だがこうとも考えられる。俺はお前の【豪運】《フォルトゥナ》とやらに引かれているんじゃないかって。まるで引力のようにな」

「――うん。いい答えね。そう。私は、あなたが気に入ってしまったのね。  覚えてる? 放課後のチンチロリンを。あの時、やしろくんは見事に【2】のゾロ目を出した。あの運は間違いなくあなたの運だった。つまり、実力に初めて私は敗北したの」

「実力ってそりゃ……結果はたまたまの運だったし」

「運も実力の内って言うでしょ。その実力に敗北を喫したの。あんなに悔しい思いをしたのは……そうね、小さいころにお父様に負けて以来」

 だからとても嬉しかったのだと。あの瞬間《とき》に見せた笑みを浮かべる葵。
 そう彼女が断言するのだ間違はいない。あの勝負で俺は己の運だけで……実力で葵に勝ったのだ。だとすれば、気づかないうちにとんでもない運を俺は発揮してたのかもしれない。

「あの勝負でのやしろくんの運を可視化したら、天文学的数値になったかもね」

 察したのか、葵は冗談交じりにクスリと笑う。
 あの笑い方には皮肉が滲んでいるようにも見えた。本当に悔しかったんだ。

「結局のところ、運は“気紛れな波”でしかない。一時的に良い方向へ流れる状況もあれば、悪い方向へ満ちてしまう負の連鎖もある。そんなよく解らないモノこそがこの世では大きく揺れ動いている。宇宙の始まりから終わりまで。
 これはそう――ミッシングマスなのかもしれないわね」

 ミッシングマス……見えない質量とか隠された質量ってヤツか。暗黒物質《ダークマター》との因果関係もあるのかもなと、俺はちょっと宇宙論に浸りつつあった。

「神の粒子――ヒッグス粒子研究然り」

「ああ、聞いたことあるなそれ。難しすぎて理解はしとらんが」

「まあ……その辺りの研究や理論も組み込まれているのだけどね、このデジダイスには。
 そんなワケで粗方は理解できたかしら、やしろくん」

「無茶言うな。まだ半分も理解できてねーよ。ようやく聖書で言うところの“光あれ”が理解できたところだ。
 しかしそうだな、とにかくお前の運が良いってことは理解できた。あと、俺が例外凡人ってこともな。だからって何かが変わるワケでもないだろ。今までと何ら変わらんはずだ」

「そうね。そうだといいわね」

 葵は足を組み、なにやら冷め切った目をこちらに向ける。

「……さて、長丁場になってしまったわね。やしろくん、そろそろ、桜音さんが恋しいでしょうし、帰るなら下まで送るわ」

 なにがそんなに不服なのか。俺に負けたことを引き摺っているのか――つまらなさそうに帰宅を促される。

「って、桜音!? 恋しくねーよ!? なにいってんだ、お前は!」

 思わず動悸がまずい事になる俺。かなり焦った。

「なんだ違うんだ。残念ね」

 なにが残念なんだコイツは。別に桜音とは何もない……ただ、あいつの姿がシグマオンラインを最後に見かけていないので、ちょっと心配なのは確かだが。

「でも、ここまで付き合ってもらったからにはお礼くらいはしなくちゃね」

「へえ? お前を好きにしていいとかか?」

「やしろくん……ヘンタイさんだったの?」

「んなっ……! そういう意味で言ったんじゃない。そちらが今まで提示した賞品はそれだったじゃないか」

「バカ言ってないでさっさと帰りなさい。返礼は確かにそこにあるのだから」

 と――葵はかの『デジダイス』を宙に放り投げる。
 カラカラと乾いた音を立てながら床を転げ回った結果。その目に『帰還』という文字が表示された。

「?」

 そんな大層なデジタルフォントも表示できるのかと関心していると、急に俺の視界が集中線一色に染まる。

 ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる。

「うわっ!? キモちわり!!」

 後ろに、強引にグイグイと引っ張られていく。
 重力なんぞ完全に無視。いやこれは、テレポートにも近いのかも。

 葵の姿、ビルの姿はあっという間に消えてなくなり、俺は巻き戻りかのように後退していった。

(うあぁぁああああぁああああ!?)

 ……
 ……


 そんな話は聞いていなかった。
 あのサイコロは、ルーラの魔法でも使えるというのか?

 いくらなんでも多機能すぎて、そんな非科学的な妄想に耽ってしまう。
 ……やれやれ。また今度詳しく話を聞いてみよう。

 そうして、そんな驚きの光景は、十秒足らずで終わりを告げ。

「……ん?」

 見覚えのある部屋にいた。
 間違いない、マイルームだ。
 服装も変わっていない。時間もきちんと刻まれている。夢ではなさそうだ。本当に帰ってきたらしい。

 変化があるとすれば……いや、本当に何もないか。

 俺は何故か酷く安堵して、学生服を脱いだ――が。

「きゃぁっ!?」

 女の子の悲鳴が背後から……って、誰だ!?

 振り向くと――そこにはメイド服姿の女の子がいた。
 彼女は両手で顔を覆い、酷く赤面していた。

「って、桜音ぇ!? なんでこんなところにいるんだよ!?」

「知らないよぅ! いつの間にか、やしろの部屋にいたんだから! ていうか、さっきは猫耳スク水だったけど、なんか次にはメイドになってた。いったいどうなってるのー!?」

 取り乱す桜音。それは混乱というよりか発狂に近かった。そういえば、シグマオンラインで会った時は猫耳スク水だったな。だが、今は単にメイド服姿だった。確かあれはバイト先のコスチュームでは。
 へえ。写真では見たことがあったが、初めて現物を目の当たりにした。こうして見ると可愛いものだなぁと思わず見蕩れてしまう。 桜音のスタイルは良いので、メイド服姿が華のように艶やかで、とても似合っている。間違っても本音を口にはできないが。

「って、やしろ……なにボーっとしてんのよ。そんな格好してないで、さっさとズボン穿いてよ」

 ――っと、そうだった。
 てっきり誰もいないと思っていたので、着替えようとしたのだった。

「すまん」

「う、うん……。
 ところで、あたしなんでこんなところに居るんだろう? しかもバイト先のメイド服になってるし……」

「俺が知るか。って、イヤまて」

 そういえば、葵のヤツが『お礼』がどうとか。まさか、桜音のこのメイド姿を言っていたのだろうか。だとすると……オイオイ、自身でなく桜音を身代わりにしたというコトか。
 そんなまさか……。
 以前のチンチロリンで葵は、桜音のメイド姿の写真を持っていた。あれが既に伏線となっていたのか!? なんてヤツだ。

「………………」

 改めて桜音を視る。ただの興味本位で。
 が、それが逆効果だった。次第に俺の動悸メーターがブンブンあらぶっていく。なんてことだ。桜音のメイド……改めて目にするとその破壊力は凄まじいではないか。壊滅級と表現しても過言ではないだろう。
 そして、霧消に色々させたくなってくる。あ、コレまずい。

「あの……やしろ? 早くズボン……」

「………………」

 ふうむ。
 現在、桜音はぺたんと座り込んでいる状態で、俺を上目遣いで見上げている。(ちょっと瞳が潤んでいる?)胸はまぁ……発展途上でそれ程ではないが、服の上からなので脱いだら凄いタイプかもしれない。
 それはさておき、あの短いスカートに壊滅級の絶対領域。ニーソも良い感じに食い込みフトモモのムチとした質感を強調し、いやらしさを増させていた。それはもはや至宝。
 観察すればするほど桜音が魅力的に見えてしまい、俺の理性が失われていった。いくらなんでもえっちすぎるだろそれ。卑怯《チート》である。

 あー…まずい。これは非常にまずい。
 野獣《ビースト》に変貌してしまう前になんとかしなければ。

 だが。
 だがッ……!
 だがぁ……!

 これが葵が提示したご褒美であるというのなら、愚直に受け取る権利はあるはずだ。
 ああ……そうだ。あれは桜音なんかじゃない。きっと、葵が作り上げた幻影《まぼろし》に違いないんだ。でなければ、あんな破廉恥なエロメイド姿で俺の部屋なんかにいるわけがないんだ!

「桜音!!」

 俺はもう我慢の限界を超えていた。
 ただ、メイドにご奉仕されたい。ただその一身だった。

「頼む!! 俺のメイドになってくれ!! あんなコトやこんなコトいろいろしてほしいんだ!!」

「えっ……ええ!? なに言ってんのよ!? い、言っておくけどね……バイトじゃそこまでしてないし。ていうか、それ以上も一度も経験したことないし……って、なに言わせてんのよ恥ずかしい……」

 なにやら顔から耳まで真っ赤になる桜音。
 なにか勘違いされているようだ。

「ん――なんの話だ? 俺は、マッサージを頼みたいと言っているんだが」

「は?」

 いつの間にか話が食い違っていたようだ。
 俺は至って常識の範囲内の思考だったはずだが。うーん?

「バカやしろ……」

「えぇ……なぜに」

「ま……まあでもいっか。じゃ、ほらそこにうつ伏せになって」

 と、渋々ながら桜音は交渉に応じてくれた。
 なれば俺は、えっちメイドの桜音にマッサージして戴くまでだ。

「じゃー、頼む」

 マイベッドにうつ伏せになり、桜音に全てを委ねる。
 しかし暫くは空虚が続き……なにも起きなかった。

「どうした、桜音。緊張しているのか?」

「そ、そりゃね……。幼馴染って言っても、こうして触れ合うのは久しぶりなんだもん」
「あー、そいやまともなのは小学校以来か。いやでも中学校の時もそれなりに接触はしていたと思うけどな。手も繋いでたし」

 って、口に出すと結構恥ずかしいなコレ……。

「う、うぅ……。仕方ないなあもう」

 ようやく踏ん切りがついたのか、桜音は俺の身体に跨ってきた。
 衣服の擦れる音。桜音の身体の温もりが伝わってくる。なんて軽くて柔らかい。こんなに華奢だったとは……。
 いやそれよりも、これはヤバイ。なんとまあ背徳的な絵になっているコトだろうか。

 なるべく煩悩を振り払おうとして、無に徹する。
 必死に邪念を切り離していると、桜音の指圧が伝わってきた。
 背中を押す小さな指。気持ちよい感触がグイっと絶妙で心地よい。

「……へえ。うまいもんだな、桜音」

「父にたまに頼まれるからね。それで上達したのかも。あ、やしろって意外と凝ってるね。ほら、こことか」

 慣れてきたのか普段と変わりない口調で、俺の背中をグイグイとマッサージしていく。で、ツボも見事に見つけ出し、そこを絶妙な力加減で刺激してくれる。

「うお……凄い。眠くなるくらい気持ちいな。桜音、才能あるよホント。将来は、マッサージ師にでもなれるんじゃないか。というか、メイドマッサージ店とか需要ありそうだけどな」

「ん~、それはないかなぁ。だってあたしはもう、やしろの専属メイドだから。
 だからね……これはちょっとサービス」

 と――桜音は、俺に覆いかぶさるように身体を摺り寄せてきた。

(ぬおっ!?)

 あまりにフワフワしていて実感がない。けれど、彼女の甘い匂いと吐息がその現実味のない現在《いま》を色付けた。
 だがそれも刹那の一時だった。やっぱり恥ずかしかったのだろう、桜音はすぐに身体を離した。そしてそのままベッドから降りて、背を向けていた。

「ご、ごめん、ね。ちょっとやりすぎた」

「いや、嬉しかったよ。またマッサージしてくれ」

 最後はともかくとして……マッサージは本当に良かった。一家に一人、桜音メイドがいたらマッサージには困らないくらいに。

「そかそか。なら良かったよ」

 照れくさいのか、目を合わせようとはしない。
 かくいう俺もあのサービスは刺激が強すぎて危うく色々爆発しそうだったので、桜音の方から離れてくれて助かった。

「ところで桜音よ」

「な、なによ」

「水色は悪くないが、お前はどちらかというとピンクの方が似合うと思うぞ」

「………………」

 未だかつてない沈黙。
 桜音の時が完全に止まっている。

 あれ俺余計なコトを言ったかな?

「ちょ……やしろ、いつの間に見たのよ!」

「いやぁ、お前が跨ってくるときとか、ベッドから降りるときにな。短すぎんだよ、スカートが」

「そ……そっかー…………」

 後ろから見ても、桜音は明らかに落ち込んでいた。ありゃ、涙目になっているな。こりゃちょっとフォローしておかないとマズイか。 俺は今までのお礼も兼ねてフォローしようと思ったのだが。

「やしろの……バカァァァァアアアアアッ!!」

「……!?!?!?!?!?」


 恐らく――本当に恐らくなのだが、グーパンが飛んできていたと、思う。
 だがもう、気づいたら視界がブラックアウトしていた。


……
……

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【第8章】カオス

 知らない天井があった。
 いつもの部屋ではなく、真っ白で、無機質。まるで病院。

 いや、まるで――ではなく。正真正銘、病院だった。

 どうしてこんなところに。

 記憶障害だろうか、俺の脳内はぴりぴりとノイズが走っている。思い出そうにも思い出せない。何があった。

「……」

 少なくとも。
 事件・事故があったのは間違いないだろう。
 でなければ、こんな処で全身包帯ぐるぐる巻きの木乃伊《ミイラ》状態など有り得ない。

 身体は動かせない。麻痺している。

 唯一。
 唯一、意識だけはあり、視界だけはハッキリとしていた。

 目玉を精一杯動かし、病室内の限りを探る。

(お……)

 ふわふわした黒い髪。すうすうと寝息を立てている少女は、桜音だった。
 どうやら傍に寄り添っていてくれたようだが、心なしか窶れ、疲れているようにも見える。随分と痩せこけたなコイツ。
 そんな気が病むほどに俺を心配してくれたのか。

 だが、そんなたいしたことは起こっていないはずだ。

 俺は無事だし、そこまで重症ってワケでもない、はずだ。

 どちらにせよ、身体は動かせない。
 であれば、もう目蓋をそっと閉じ、夢に身を委ねよう。

 と、俺は視線を桜音から外し、正面辺りに向けた。


「………………」


(……!?)


 ブリザードのような冷たい瞳が見下していた。

 深波瀬 葵……。
 ――いたのか。いたのなら言って欲しかったぜ。

「……意識を取り戻したのね。あー…うん。口が利けないのは判っている。だから、わたしの話を聞いて。OKなら一度アイコンタクトを。聞きたくなければ、二度で」

 言われたとおり、片目を一度パチっとしOKと送る。

「決断が早いのね。でもその方が助かるわ。これで貴方の命運が決まるのだから」

 さっと取り出されたのは“デジダイス”だった。
 またアレか。

 そんなもので俺の命運が決まる?

 いくらなんでも大袈裟だ――そう思いたかった。

 宙高く放り投げられるデジダイス。
 それは綺麗に放物線を描き、やがて落下した。

 ダイスは俺の目の前にポトリと落ち、その目を弾き出す。

『Chaos』

(カオス……?)

「やっぱり。もう、この目は変えられないのね」

 抗えない。ただ、それだけ呟いて項垂れる葵。
 まるで絶望しているかのような。

 まて……おかしい。彼女だけじゃない、外の様子も。
 クソ。身体がいうコトを聞かない。なんて、もどかしい。

「もういいわ。どうせもう世界は終わり。経緯を話してあげる」

 なにか吹っ切れたのか、葵は淡々と話を進める。

「えっとね、今の世界はもういつもの日常じゃない。覚えてる? 『シグマオンライン』を。あの世界と現実世界が交わり始めてしまった。そんなカオスが今現実に起きている。法・秩序が乱れ、まるで世界の終焉よ」

「……?」

 なんだ……って?
 これはドッキリ? エイプリルフールのネタか何かか?

「デジダイス。このサイコロがとある事件をキッカケに暴走したの。それはつい一週間前、貴方とヴュルフェルという男が衝突した時に起こった。
 やしろくん。貴方は桜音さんを守る為に、確率の壁を越えてしまった。それは、デジダイスの処理能力を大幅に超え、暴走を引き起こした。それが事の発端。そうして、世界はシグマオンラインと融合しつつある――まさに“カオス”よ」

 これは『彪噛 稲杜』による人災と――葵は低い声で付け加えた。

(俺が……?)

 俺が、桜音を守るために、世界を滅茶苦茶にしてしまった?

 とてもじゃないが信じがたい。
 そもそも、ヴュルフェルとの戦闘すら覚えていない。

 いや、覚えていないだけで事実、なのか。

「その状態じゃ判らないものね。だったら、実際にその目で見て思い知ればいいの。この世界がどうなってしまったのかを」

 葵は、俺の目の前に落ちているデジダイスを摘んで、再び落とした。
 音はなく、ただ無機質に目を出す。

「うん。わたしの運はまだ尽きていないようね。感謝してよね、やしろくん。あなた、動けるようになるわ。この目は、シグマオンラインのスキル『リジェネ』。早い話が回復」

 確かにそのスキルは存在する。リジェネを受けた者は“大幅に回復・治癒”する。
 だが、それが現実に使えるかは別で……ん? まてよ。

「って、そうか、この世界とシグマオンラインはもう……お? 俺、なんか喋れるようになってる!?」

 本当に回復しやがった。マジでスキル使えるんだな。
 ダイスという条件付だけど。

「回復おめでとう。これで自由に動けるはずよ。っと、ついでに彼女もお目覚めのようね」

 俺の声に反応したのか、桜音が気だるそうに目を覚ます。

「あれ……やしろ、起きたの……?」

「おう。さっきな」

「って、やしろ!? ウソ……あんなにボロボロだったのに、どうして!」

 信じられない、と。あまりに衝撃に、桜音は瞳を滲ませていた。

「やしろ、やしろぉ……」

 元気に動く俺の姿を見て、桜音はついに涙腺崩壊。泣き出した。

「ば、ばか。そんな大泣きせんでもいいだろ。俺はこの通り、元気だ」

「だって……あんなに危篤状態だったし、死んじゃったかと思ったんだもん」

「そんなに酷かったのか俺……。ま、まあ、心配してくれたんだな。ありがとな」

「当たり前でしょ! もうあんな無茶はしないで」

 いつものツンデレメイド節なのか、よく判らなかったが、桜音は抱きついてきた。
 そんなに心配させてしまっていたとは。これは猛省せねばと思ったら。

「こほん……。イチャイチャしているところ悪いのだけど」

 やや遠くから俺たちの状況を見守っていた葵がそんなセリフを吐く。
 微妙に顔が怖いのは気のせいか?

「いや、イチャイチャはしてねーよ!!」

 思わずツッコむ。しかし葵はただ冷静に、ただ淡々と話を進めた。

「もう歩けるでしょう。自身の足で、その目で外の世界を見ているといいわ。それで全てが判る」

 そうだ。確かめねばならない。
 俺がこの世界をどうしちまったのかを。

 桜音を宥め、俺はベッドを降りる。
 久しぶりに地に足を付けたような、そんな錯覚に陥る。

「くっ……」

 足が竦む。
 なんて鈍いんだ。これではまるで幽霊のような。
 事実、俺は長いこと眠りにつき、久しぶりに立ち上がるんだ。こうもなる。

「まるで生まれたての小鹿ね」

 なんの皮肉のつもりか。だが、表現としては的を得ていた。俺の脚は確かにそんな感じで滑稽な姿を晒していた。

「大丈夫。あたしが支えてあげるから」

 そんな状況を見兼ねてか、桜音が俺の身体を支える。

「す、すまん。猫の手も借りたい状況だ。まともに歩けそうにない。悪いがそこの窓まで……」
「判った」

 桜音の力を借りて、俺はようやく窓辺に辿り着く。

 そうしてやっと現実を――事実を知った。思い知った。


「………………」


 黒く闇に染まった空。赤と青と黄の霧。荒廃しきった街並み。

 積みあがった人らしきモノ。動物の屍骸。黒ずんだ植物の残骸。

 異臭、悪臭。

 絶望。悲しみ。

 かつてあった活気は皆無。

 ただ静かに時を止めていた。


「……なんだこれは。こんなのって……」


「これが現実。やしろくん。これがあなたの選択であり、結果。喩え受け入れがたい現実だとしても、事実は事実。変えようのない現在《いま》」


 俺が……世界を。
 サイコロひとつで本当にこんな残酷で凄惨な景色に変えてしまったというのか。


 俺は何をしてしまった……。


 あまりの事態に理解が追いつかない。


「マーフィーの法則」

「……え?」

 葵は、俺を責めるでも貶すでもなく、ただ一言それを口にした。

「If anything can go wrong, it will.《失敗する可能性のあるものは、失敗する》
 人は過ちを犯すもの。成功もあれば失敗もある。失敗しない人間なんていない。やしろくん。これを引き起こしたのは確かにあなた。でも、デジダイスを作ったのは我が社《ダイスン》。結局のところ、全責任はわたしにあるってワケね。これはわたしの失敗。製品に問題があれば、責任を取るのはメーカー。当然の責務」

 だから、と。

「あのデジダイスはβテスト段階だった。それをある時に3名限定に販売していた。そのひとりが桜音さん。そして、やしろくんにひとつ安く売ってあげた。競馬場でね」

「……!」

 そうかあの時、売店にいたスタッフは葵だったのか。完璧な変装をしていたので全く判らなかった。ほとんど別人だったような気がする。

「そして、最後のひとつがヴュルフェルに渡ってしまっていた。迂闊だったわ。最後のひとつは本来、あなたの先輩に渡すつもりだったのだけど……奪われてしまった」

「まさか、甘楽先輩か! それであんなストーカーまがいに付き纏われていたんだ……!」

 ようやく合点がいった。
 道理で甘楽先輩に相棒になってくれだとか、俺を目の仇にしていたわけだ。

 ヤツは……ヴュルフェルは、デジダイス入手のために近寄って来ていたんだ。
 ただ私利私欲のために一方的に俺に絡み、そして――。

「葵、ヴュルフェルの所在は?」

「所在不明。行方不明よ。彼の存在はあの事故以来、全く気配がない。もしかしたら、もう消えてしまったのかも。それとも、何処かで潜伏しているか。
 どうして、そんな質問を?」

「ヤツを見つけ出してせめてもの贖罪に」

「なるほど。デジダイスを探し出すのは賛成。どちらにせよ、彼の持つデジダイスの奪還は必要事項であるのだから」

「どうして?」と桜音が疑問を返す。

「デジダイスには、こういったトラブルを想定して『緊急停止』コマンドが多数存在する。もちろんマスター権限なのだけど、それを実行するには“デジダイスが全て”ないといくら入力しようとも拒否されるようになっている。
 なぜこんなややこしい事にしたのかというと、もちろんセキュリティ上の問題で。そもそも、サイコロを奪われるだなんて想定もしてなかったし……こればかりは完全にわたしの判断ミス」

 どうせなら緊急停止コマンドを、サイコロひとつで発動できれば楽だったろう。だが、それが出来なかった。出来ていればこんな凄惨な世界にはなっていない。こうなってしまったのも――デジダイスをヴュルフェルに奪われてしまい停止できなかったから。しかしそれだけで葵を責めるのはお門違いだ。俺にだって罪はある。

「あと、これはおまけ情報。この際だから全部話すわ。
 それぞれのデジダイスには『シグマオンライン』へのアクセス権が付与されている。だから、具現化モードを選べば、現実世界のままログインできたのよ。
 ログインせずともサモンモードで、任意でサイコロを振ればモンスターの召喚を行えた。実際その目でモンスターは何度か見ているはず。元々はただのゲームのつもりだった。モンスター同士で戦わせる程度のゲームでデジタル対戦を想定していたのだけど、予想を遥かに上回り現実世界への干渉を可能にしてしまった。
 それがいつしかゲーム内のスキルの発動さえも現実で可能になり、魔法さえも……こうして説明するととても滑稽な話だけれど、全て事実。今のあなた達なら信じてくれるでしょう?」

 黙って俺と桜音は頷く。

「だからやっぱり、わたしにも責任はあるということね」

 いつしかのように悲しげにする葵。

「はい、責任を押し付け合いはそこまで」と、桜音がストップを掛ける。

 俺と葵は何事かと目を合わせてしまう。

「いい、ふたりとも。起きてしまった結果はもう変えられない。今起こっている事を真摯に受け止めてどうしていくかを考えていくしかないでしょ。つまり、話を纏めればデジダイスを全部揃えて元に戻すしかないってこと。ハイ以上、審議終わり!」

「……」

 桜音のあまりの勢いに俺も葵も。

「ぷっ……ははは」

 吹いてしまった。

「ど、どうしてふたりとも笑うの!」

「いや、なんか悩んでいたのが馬鹿らしくなってしまってな。ありがとな、桜音」

「そうね、桜音さんのそのポジティブさには感服するばかりだわ。
 やしろくんが眠っている時もずっと悲しむのではなく、微笑み、優しく語りかけていた。あの光景はまるで天使のようで……」

「う、うわぁぁぁあっ! やめて、葵さん! それ以上は!」

 めちゃくちゃに赤面する桜音。
 いったい俺の眠っている間に何があった!?

「ともかく、ヴュルフェルの持っていたデジダイスを探しだしましょう。まずは激戦があったあの場所を」

 抗議する桜音を華麗にスルーして、そう提案する葵。

「判った。そうしよう」

 今はそれしかない。全てのデジダイスを揃え、マスター権限で初期化すればもしかしたら元通りになるかもしれない。そんな小さな希望ではあるが、試してみる価値はある。

「では“星屑”へ向かいましょう」

 なんか聞き覚えのある略称だった。

「!」

 ハッと思い出した。間違いない。

「星屑……って、あのシグマオンラインの亜空間マップ『終焉の宇宙《ソラ》・スターダスト』か?」

「さすがね、正解。やしろくんとヴュルフェルはそこの最下層手前で戦った。一番奥へ行くとラスボスが降臨してしまうから、モンスターが一切出現しない一歩手前の星屑フィールドで戦う事となったワケ」

 なるほど。一応、街への影響を配慮して、シグマオンライン内で戦ったということか。それなのに現実世界にも影響が出てしまったということは、よっぽどの何かが起きた、ということだ。

「詳しい事は後で話すから準備ができたら言って」

 葵は、じゃあと病室を後にする。

「おし、着替えてっと……あれ、桜音?」

 そういえば、石と化した桜音を忘れていた。

「うおーい、桜音。星屑へ向かうぞー?」

 ダメだこりゃ。まったく反応がない。
 よっぽどのショックだったのだろう。暫くそっとしておいてやろう。


 ◆ ◆ ◆


 病院を離れて更に判った事がある。
 この街の大半が荒廃していた。ほぼ瓦礫の山々で原型は殆どない。

 なぜあの病院だけが無事だったのかは判らないが。

 あと人間だ。全く見当たらない。気配すらもない。
 これが本当の影も形もないということか。 
 なんと恐ろしい世界にしてしまったんだ俺は……。
 改めて実感する。改めて罪の意識を強く感じた。

 俺はこんなつもりじゃ……。

「ハイそこ。ウジウジ考えていないで、先へ進むわよ」

 バシッ。小さく硬いモノが俺の額を直撃した。

「いってっ!?」

 中々に痛い。
 例えるなら、本の角で殴られたとか足の小指をタンスにぶつけたような鋭い痛み。
 ていうか、サイコロ?
 地面に落ちたモノを確認すると、それはただのサイコロだった。
 その目は【1】を向いていた。

 【1】か。そういえば、葵と放課後にチンチロリンで勝負したとき、あいつは【1】のゾロ目を出していたっけな。
 などと考えていたら、少し気分が良くなっていた。

「す、すまん。で、星屑へはあとどれくらいなんだ?」

「ケンタウルス座アルファ星。約8万年掛かるわ」

「……は?」

 ナニヲ、イッテイルンダ、コイツハ?

「葵さん。それ、ボイジャー1号でしょ。実際にはへびつかい座の方向へ飛行しているらしいよ」

 と、桜音がなにやら突っ込む。サッパリ判らん。

「うん。どうやら、やしろくんには判らなかったようね。さて、冗談はここまでにして、ここから『ワープ』スキルを使用して星屑へ向かう」

 なんだ冗談かよ。って、ワープか。なるほど、ワープは特定の場所でしか使用できないスキルだ。だからこんなところまで移動してきたワケか。納得。

「スキルについては察しが良さそうね、やしろくん。
 病院では規制が掛かって使用できなかった。此処ならもう問題ない。『ワープ』を使えばすぐに星屑に到着だから、覚悟はいい?」

 こくりと桜音が頷く。俺もそれに釣られるような形で頷いた。

「了解。では『ワープ』スキル発動。10秒間ほど展開されるので、一気に突入してちょうだい」

 すると、ごうっと何もないところにゲートが足元に開く。
 そこに飛び込めば『ワープ』できる。それは、シグマオンラインでは何千回と経験したことだ。

「桜音」

「う、うん」

 俺は桜音の手を取る。彼女もまた自然と俺の手を握り返す。

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【第9章】スターダスト

 シグマオンラインはかつて一世を風靡した最古のMMORPGだった。
 ドット時代、その接続数は一万を超え、ピーク時は三万人近くは同時接続があった程。
 ここ数年はスマホの影響でアプリゲームに人が流れ寂れつつあったが、運営の“スマホ連携システム”“D3Dシステム”“AR対応”など斬新なアップデートが続き、再度注目を受ける。また、幸運な事に大手メディアに取り上げられるとブームが再燃。再び活気を取り戻していた。

 俺は、甘楽先輩に誘われて『シグマオンライン』を始めた。それがキッカケだった。
 ただまったりと狩りをしたり、チャットを楽しんだりする程度だったが。
 それでも毎日が楽しい日々だった。


 亜空間マップ『終焉の宇宙《ソラ》・スターダスト』……略称『星屑』はここ数ヶ月でも最大規模の大型アップデートだった。
 このアップデートはある意味このゲームの一旦の区切りとなるフェーズ12ラストダンジョン。ラスボスにも等しい最強最悪のボスが登場し、話題を呼んだ。

 それで終わりであったのなら良かったが。


◆ ◆ ◆


 銀河が鏤められている。
 そこらじゅうに光と闇が交わり、幻想的なガスが充満していた。あのガスこそ『創造の柱』《Pillars of Creation》で、ラスボス手前によくある安全地帯マップである。よって、強力なモンスターは一体足りも現れない。
 本来ならここで装備を整え、ラスボスに挑めという運営の慈悲のような配慮がなされていた。

 しかし、今は状況が違う。

 ここでつい最近、ヴュルフェルと激戦があったという。
 こんなところで一体なにをしてしまったのかもう思い出せはしいないが……。

「到着ね。さて、デジダイスがあるといいのだけど」

 葵は広大な宇宙マップを見渡し、溜息をつく。

「安全地帯とはいえ広すぎね。運営はどうしてこんな無駄に広く作ったのやら。それこそ本当に約8万年掛かりそうなくらい」

「さあな。あの運営の考える事はよく判らんからな。まあ……虱潰しに行くしかないだろう」

「それもそうね。じゃ、やしろくんはあの青い星の方を。桜音さんはあっちのアンタレスっぽい恒星の方角を。わたしはこの周囲を探す。おっけー?」

 と、葵はテキパキと指示を出す。
 俺も桜音も頷き、それに従うことにした。

 こんな本物の宇宙にも等しい超広大なマップで果たしてデジダイスを探し当てるだなんて、可能なんだろうか。とてもじゃないが……いや、泣き言は後だ。やるしかない。元の世界に戻す為にも。

「じゃ、やしろ。また後で」

 桜音がポンポンと俺の肩を叩く。
 おっと、ぼうっとしていた。

「おう。お前の運に賭けるよ。頼むぜ桜音」

「うん。任せて。【強運】《テュケー》は健在だから何とかなると思う。そんじゃ、見つかったらすぐ報告するから」

 お互いに手を振って別れた。

「さて俺も……」

 デジダイスの捜索を始めようかと思ったのだが、またもポンポンと肩を叩かれる。

「ん……葵。どうした」

「桜音さんは行ったわね。だったら、大事な話があるの。いい?」

「構わんけど、なんか深刻そうだな。ココに来て何か見落としがあったか?」

 元々仏頂面ではあったけど、葵の顔はいつになく険しかった。


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